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もともとヲタクの人が作っていない「ヲタクの信頼を勝ち取る企画」の凄さに感服。

企画メシで企画を考えるようになったことで、今スッキリと腑に落ちることがあります。
私は、熱烈に応援してる関ジャニ∞の番組の企画内容に対して、たまに文句を言っていました。
中学、高校くらいのときは特に…

つまらない!!の感情の先にある、歯痒さ。

全然、彼らの魅力をわかってない!!

って…
ファンの間でけっこう議論があって、Twitterとかで意見する人もいました。

逆に、面白い企画ばかりで、ファンからの人気が高い番組は、わかってるな〜ってニヤニヤしてしまったり。

何を上から…と思うかもしれないけれど、きっと、彼らへの熱量でいったらやっぱりファンが上回ると思ってて。
だって1日たりとも考えない日はない。ずっと考えてる。

その熱が高いゆえに、影響力の高いメディアの「彼ら」の表現のされかたに敏感というか、ちとシビア(と私は感じる)。
彼らの番組ならば、彼らの魅力がしっかりと伝わる形であるべきだ(と私は主張する)。
でも同時に、製作者は私たちファンじゃないし、ファンのためだけの番組ではないし…、と悟ってたりもする。

だからこそ、
同じくらいの熱量に寄り添ってつくられた企画は、たまらなく嬉しい。


実際そういう放送作家さんのインタビューを目にすると
彼らに向けるまなざしが、一緒。
芽生える仲間意識。

きっとそこに至るまで、すごく、真っ直ぐに、彼らに向き合って
ファンと同じ熱量に追いついて、
そのうえで思考をしている。
だから、彼らにとっても、ファンにとっても、幸せな企画が生まれてる

彼ら自身も気づいていない、新しい魅力をも引き出せる企画も作ってしまう。

いかに誠実に、相手に興味を持てるのか。
私は、それができるのか。

企画をおくる対象の魅力、
本質的な「ならでは」の部分。

それを探すこと、調べること、体感すること。
そこでどれだけ感じ取れるか。
その量が、熱量で、伝わるのだとしたら。

企画に嬉しくなるのは、
文句を言いたくなるのは、

彼らの番組だからこそ、「作り手の方が向ける彼らへの熱量」への期待が大きいから。かもしれない。

「企画」に信頼を置けると、安心する。
「企画」に不信感を抱くと、不安になる。

企画を企てるときから、企画。
熱量を込めることも、企画。

企画をする。熱量への期待に応える。
期待以上の熱を込める。

熱のある企画をする、改めてすごいことだ…。

自分の人生も、企画の連続だとしたら。
何事も。納得いくまで、じっくりと。
向き合う対象に対して、誠実に熱を込めていきたいものです。

休憩もとりながら。

ではでは〜!!

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