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50歳の体をなんとかしていきたい記録です。体重、特に体脂肪の数値がひどいです。 コロナ…

ri ha

50歳の体をなんとかしていきたい記録です。体重、特に体脂肪の数値がひどいです。 コロナ禍前は走っていて大会にもでてましたが、咳の発作が出やすくなり走るのをやめました。走るのやめたら運動不足になり健康も心配なので少しずつ走り始めてます。

最近の記事

恵庭岳トレラン

50歳になってからの運動の記録だけど、50歳になる前の記録も思い出しながら書いていって今現在の状況に繋げていこうと思う。 北海道に引っ越してから初めてのトレランは恵庭岳だった。 2010年5月29日 まだ雪が残ってる。 札幌から恵庭岳登山口まで。道がまっすぐで車も少なく目的地まで渋滞することがない。移動にストレスがかからなくていい。車が少ないというより人が少ない。 支笏湖はお店や宿が並んでるエリアもあるけど自然の方が多くて俗っぽくない湖。湖の周りのお土産物店や飲食店のわ

    • お引っ越し

      2010年に夫の転勤で鎌倉から札幌に引っ越した。 三月。鎌倉は春の花が咲いてきた頃だった。でも札幌はまだまだ冬だった。 あちこちに除雪の雪が高く積まれていて、普通に吹雪く日もある。3月の鎌倉は花が咲き始め、でも虫はあまり出てきてなくて、草も邪魔になるほど伸びていないトレイルを走るのに最高の季節だったのに、札幌の3月は晴れてると思ったら山の天気のように30分後には吹雪いてる。同じ日本とは思えない遠い場所にいると嫌じゃないけどいろいろ違ってびっくりした。 そしてびっくりしたの

      • 遊ぶ体力

        2010年まではトレイルランニングで山を走り回ってた。荷物を必要最低限にして軽くすると山道をいっぱい移動できるのが楽しかった。登山道具、テントや食料、着替えを入れた大きなザックを背負うと1km歩くのも大変なのにトレラン装備だと10km、20kmと移動できる。山に行くのが日常の延長、散歩にいくようにトレイルを走るのが新鮮だった。 ハセツネのトレーニング頑張ったからしばらくは軽々と走れた。体力あると遊ぶの楽しい。当時は鎌倉に住んでたからよくハイキングコースを走った。登りは苦手だ

        • ハセツネ

          応援にいくの辛いランキング第一位の大会、ハセツネ。この応援が本当に嫌で嫌でどう考えても辛いけど自分も走るという決断を下した。 青梅のトレランの時と同じく、こちらも夫に内緒にしようとした。当日応援じゃないよ走るよと驚かしてやろうと思った。しかし、またあっさりばれた。 なんでばれたのかはやはり記憶がない。夫に聞いてもなんでだっけとわからない。迷宮入りだ。 とにかくばれたあとの夫の喜びようは青梅の大会の比ではなかった。一緒に練習するのだが、平日も出勤前に走る、休日はもちろん走る。

        恵庭岳トレラン

          応援はつまらない

          マラソンは小学校でやらされて大嫌いになった。走ることを嫌いにさせる昔の体育。理不尽な指導。嫌な時代。中学も高校もマラソン大会なかったので一生走らないはずだった。 大人になって最初に走ったのは青梅で開催されたトレランの大会だろうか。RUNNETの出場大会結果には古すぎるのか記録がなく何年前かわからないけど。2002年~2004年ぐらいに2回か3回。記憶が曖昧だ。走るの嫌いなのに大会に出た理由は自分を変えたいとかそういう前向きな理由ではなく、夫(当時はまだ結婚前)の応援に行って

          応援はつまらない

          半世紀

          去年50歳の誕生日を迎え、私の体は半世紀使っている年代物になりました。もう、ムリのきかない体です。ちょっと頑張っちゃうと疲れが後を引いて次の次の日までぐったりしてしまう体です。 コロナ禍までは夫につきあってマラソン大会に出てました。フルマラソンもなんなら100kmも走った。もっともっと前はトレランの24時間耐久レースなんかも走った。片道17kmの自転車通勤してたときもある。 でも昔から、思えば10代のころから咳が出ると止まらなくなることがあった。40代になると仕事のストレ

          半世紀