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【大嫌いだったクリスマスイブ】


プロフィールに書きましたが、

私は子ども時代、継母と父に育てられました。


育てられたとは言え、最低限の食事を創ってもらう以外は、

何もケアをしてもらえないネグレスト状態。


家の中では話すことを禁じられ、

リビングで過ごすのは食事の時のみ、

あとは自分の部屋に閉じこもっていました。


そんな小学生時代、

父は2つだけ私にしてくれたことがありました。


1つは毎月欠かさず「小学○年生」を買ってきてくれたこと。

小学館が発行していてドラエモンが載っているあの雑誌です。

私は、毎月それを読むのを楽しみにしていました。


そして、もう一つはクリスマスイブの夜、私が寝静まった頃、

父はそっと私の部屋に入ってきて、ベッドのわきの椅子にプレゼントを置いていってくれたのです。


私はいつも寝たふりをして父が入ってきても気づかないふりをしていました。

たぶん、サンタクロースの真似事をしていたのでしょう。


私は、それまで誕生日を祝ってもらったことも

プレゼントをもらった経験もありませんでしたから、

その出来事が起きた小学2年生のクリスマスイブは胸が躍りました。

父が部屋を出て行ってからしばらくして、

翌朝まで待てない私はプレゼントをワクワクしながら開けます。


セロテープをいちいち剥がすのが面倒で包装紙を破きまくっていきます。

そして、とうとうプレゼントが目の前に現れました。


なんていうことでしょう・・・。

そこには、茶色のA4サイズの大学ノートが3冊入っていました。


私は、愕然としました。

全然かわいくないノート・・・。


翌日、学校に行くと、友人たちはプレゼントの自慢話を繰り広げていました。

キティちゃんの絵が描かれた筆箱、フリルが付いたピンク色のワンピース、

中にはペットの犬なんて言う子もいました。

「りりこちゃんは何をもらったの?」

仲の良いめぐみちゃんがニコニコして聴いてきます。

「・・・ノート。キティちゃんの絵が描いてある」

「え?いいな!今度見せて!」

「う、うん」

嘘をついてしまった・・・。

当然、彼女にそれを見せることはできませんでした。


地味で大学生でも使わなそうな茶色のノート。

それから小学校を卒業するまで毎年、

ノートのクリスマスプレゼントは続きました。


私は、他の物を欲しいとは言えませんでした。

だって、家の中で話すことは禁じられていたし、

洋服は2着しか買ってもらえない状況だし、

第一「買ってほしい」という言葉は禁句の雰囲気だったから。


その大学ノートが唯一、年1回のプレゼントでした。

私は諦めていました。欲しいものを欲しいと言えない。

ねだるなんてできない。

どうせ買ってもらえない。

どうせ私はこんな地味なノートしか買ってもらえない人間なんだ。

自分の価値も地に落ちていきます。


でも・・・・

私は大人になってから気づきました。

父は私がノート以外の物を欲しいと思っていることが

わからなかっただけなのかもしれない。


あきらめることはない。

自分が欲しい物は欲しいと言おう。

自分で自分を満たしてあげよう。


今、私はあきらめてきたたくさんのことをゲットしに行きます。

自分で自分を満たしてあげます。

そうしたら自分に自信がついてきました。

もらったものがイコール私の価値ではないとわかったから。


だから、多くの人に伝えています。

あきらめずに欲しかったこと欲しかったものを取りに行ってと。


ただ、愛してくれなかったと思う父だけれど、

あのクリスマスプレゼントが父の精いっぱいの愛情表現だったのかもしれません。


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