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香港で働いたら、明日は来ないことを知った
私は、20代のころ香港で1年間ほど働いていました。
勤め先は、香港人のローラという女性社長が経営する小さなパソコン販売の会社。
スタッフは香港人4人、日本人は私と20代の男子1人でした。
みんなと一緒に働き、一緒にランチを食べ、時には飲みに行き、休日には離島に遊びに行ったりと、異文化コミュニケーションを楽しむ日々でした。
私の仕事はというと、日系企業や日本人のビジネスマンにパソコンを販売し、セットアップや使い方を教えるインストラクターみたいなこと。
ある日、日本人のビジネスマンがショールームに訪れ、パソコンの調子が悪いと相談してきました。状態を見ると大した問題ではなく、すぐにその場で直すことができたので、料金は受け取りませんでした。
彼を見送って振り返ると、なんとローラが険しい顔で仁王立ちしているではありませんか?
「な、なに?」
「なぜ、お金、もらわないですか?」
いやいや、カチンときたぜ。
「だって、あんなの故障のうちに入らないし、サービスしておけば、いつかコンピュータを買ってくれると思いますよ」
「香港にはいつかなんてありません。今しかないです。今度から絶対にお金もらってください」
香港に、なぜ「いつか」はないのか?
その夜、マークやケビンと飲みに行き、その理由を問いました。
「香港は、またいつ天安門事件みたいなことが起きるかわからない。だから、今という時間の概念しかないんだ。明日、何かがおこるかもしれない。それが香港なんだ」
友だちは次々と、カナダやシンガポールへの移住を始めているそう。
マークやケビンも他国への移住を考えていると。
明日がない国……。
衝撃でした。
日本では考えられないですよね。
政府が国民に銃を向ける、なんてこと(絶対ないとは言い切れませんが)。
明日が来ることを信じることができない。
そんな人生を送っている人達が眼の前にいる。
今のウクライナの方々もそうですよね。ニュースを観るたびに胸が締め付けられます。
帰国してから、マークが友達と一緒に日本に遊びにきました。
一日だけ東京に泊まって翌日はスキーに行くと。
私はどこを案内すればよいかわからず、
そのころ好きだった吉祥寺に繰り出しました。
焼き鳥を食べて、ジャズのライブバー「Sometime」へ。
特にジャズファンではないのですが、雰囲気が好きで時々通っていた店。
今でもあるようです。
ジャズの生演奏を聴きながら、
たばこの煙をくゆらせバーボンをちびちび舐める。
オヤジか!?
まだ20代の女の子なのに私ったら(笑)。
マークと肩を寄せ合いポツポツと何か話した記憶がありますが、内容は忘れてしまいました。
覚えているのは、2人は同じ20代でバカ話に笑うごく普通の男子・女子なのに、
国籍が違うだけでこんなにも生きることへの不安の重さにギャップがありすぎるってこと。
彼の方が、圧倒的に重苦しい鉛のような不安を背負っている人生。
それに、ただただうろたえるだけの私。
偶然にも、2人で行ったジャズバーの名は「Sometime=いつか」。
ローラが香港には存在しないと言った「いつか」。
私の生き方に大きな影響を与えた言葉たち。
いつかは永遠に来ない、今しかない。
だから、今を全力で生きるしかない。
いつ、死んでもいいように。
私が香港に住んでいた年は、天安門事件の翌年でした。
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