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暗いとか明るいとかnoteとか、

昔からたまにつけている日記も、このnoteも、学生時代たまに作っては消してきたブログやらも、なんとなく「自己反省」の為にかいているのでは、と最近気づいた。

あまりというか、ほとんどしないといっていいほど、自分のかいたものを読み返すことはないので最近まで気づかなかった。

でも、私がなにかを文章にしようと思う時って、決まってなんだか自分の中で整理のつかない感情に包まれた時が多くて、その整理のつかないもやもやをどうにかプラスに転じさせようともがいている自分がいたように思う。

楽しいときのその気持ちは残さなくていいの?と、もちろん思うのだけれども、じゃあ楽しいとき何しているかって、その気持ちをとにかくかみしめることに必死で、興奮していて。わざわざその気持ちを「整理して落ちつけよう」とか、いやまあ正直思わないこともないけど、でもやっぱり「今のこの楽しい気持ちは、いまめいいっぱい楽しんでおかなければ」とそれに集中してしまっている、のかもしれない。

あと、楽しいことが起きた時は大体それを楽しみすぎて、疲れて寝ちゃう。
パソコンの前に座る元気など残っていないのである。

なんだか寝れないなぁ、ぐるぐるするなぁこの気持ちどうにかしたいな、なんて思う時にパソコンひらいてカタカタしたりするわけで、そりゃあなんだか暗い文章が並んでしまうよなぁと。

紙に書くこともあるなら、わざわざnoteじゃなくてもいいじゃんどうにか自分で解決せい、と言われてしまえばその通りなのだけれども、なんとなく人目のあるところで書いたほうが、理性的にその鬱憤を晴らせるような気がしていたんだと思う。

鬱憤、笑

日記なんかもう、日の目にさらせるような書き方を全くしていなくて、たまにただの「怒り」だけのときもある。
著名人の日記や手紙が博物館に展示されていることが多々あるけれど、もしも幽霊なんぞになってその現実を知ったら、私なら恥ずかしすぎてその勢いでいっそ成仏してしまいそうになると思う。

紙の面白さはその記録に感情すらものっているように感じることだけれど、なんでもかんでもその時の感情を吐き出せば解決するわけでもないので、どうにかしたくってこうやってnoteに沢山の下書きが連なっていくんだろうなぁ。

悩んでいるというよりは、考えている、という方がちかくて、どうにかしたい!!!!というよりは、今思っている・自分に起きているこれはどういうことなんだろうなぁ、という感覚。

どちらかというと明るいというかポジティブのように自分を位置づけていたけれど、そんなことはなかったな~なんて思ったりしたお話。

人間は面白いね。


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