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【日記】『雨の日はジョンレノンと』的な…。

2限にフランス語のテストがある本日大雨の金曜日は、1限から5限まで必修の授業がびっしりと並んでいる。テスト勉強を始めたのはちょうど日が変わったくらい。1夜漬けもいいとこだ。7時には家を出ないと1限に間に合わない。でも、遅く寝すぎると今度はテストに集中できなくなるし、何より顔が浮腫んでしまう。
冗談はさておき、僕が選んだ選択肢は、タリーズのコーヒーを眠い目をこする自分の体に注入することだった。「中途半端」を体現するこの選択。諦めが悪い男というのはモテないらしいと聞いて、若干憂鬱になるけど、別にパリジェンヌを振り向かせたいわけでもないので、カフェインとアドレナリンに任せて、Ça va bien? と自分に問い始める午前7時であった。
結局テストは大敗北で、書き取りは何とかなっても、リスニングはもはや子守歌に聞こえてきてしまった。終わった時には試験終了のチャイムが鳴っており、見返した自分の答案は若干よだれで濡れている。みっともなさの象徴である。期末で頑張ればいいやという楽観主義も、留年のかかっている言語の授業では、重くのしかかるのも事実。それでもまあいいやで終わらせてしまうのは、気圧の低さのせいなのかな。

一杯のコーヒーのみではただの嗜みになってしまった。受験期に飲みすぎた。でもエナジードリンクよりはいいと思ってる。趣味で「エナジードリンクをよく飲みます。」より「コーヒーを時折香らせます」とかの方が若干お洒落。見栄っ張りと言われたらもうそこで終わりだけど、実際おいしいコーヒーは苦さの中の旨味を感じさせる。谷中珈琲とかおすすめです。取り寄せてます。ぜひ。

『雨の日はジョンレノンと』は大学に入ってから最初に観劇した戯曲である。自然な演技が映えるこの戯曲は、少しさびれたカフェの一角を舞台に事細かにカップルのすれ違いざまに含まれる感情の共有を再現している。それを見た後だと、4年前に訪れたマスターのいる原宿の喫茶店が恋しくなる。何気なく暇つぶしに入ったそこが僕の珈琲の原点だし、小説のような喫茶店という輝きを反映したそこは、軽く1時間をつぶすにはもってこいで、何より自分が入り込んでいる世界観に干渉しすぎないし、程よくその塩梅を保っている。ビートルズがかかっていたらまんまそれ。戯曲は公開されているので読んでほしい。テーブルとイスさえあればできるし、エチュードチックにやるくらいがちょうどいい。
だから、その後だと、目の前にいる、スタバで喧嘩している社会人カップルはすごくちゃっちくみえるし、はたまた窓際の角席で雨ひどいね、だけで会話が終了しても、その沈黙を自然と雨の音とコーヒーをすする音が埋めていく、初々しい二人には、どこか憧れを抱く。戯曲の通りなら、多分社会人カップルの方が小説なのに、世界観では足を組んで外を見つめる男の子と、それを気に留めずニコニコ彼の方を向いている女の子の二人くらいにしか、小説を感じなくなってしまうのは、まだ自分が高校生の心を宿している証拠でもある。そうした初心を忘れずに成長していきたいなあと思う。店内で流れている音楽と調和できるくらいにはなりたいな。そしたら僕も一大人として自分を立派だと思えるようになりそうだ。

魅力について前日に語った手前、こういったものを書くのは少々余韻に浸りすぎなのかもしれない。いわゆる自分の恋愛観は、小説のようなちょっとしたドラマを含んだものなんだなあと確認したし、それをなせるくらいの人間になりたいと思う。でも、ホントのドラマほどのロマンチックさも切なさも求めてはいない。静穏にまどろむくらいで僕には十分である。

あと、半年前の自分はどうしてこんな文章を書けているのか疑問である。早くブランクを解消したいと思う所以でもある。文章をたくさん書くしかないし、そろそろ書き始めないととも思う。

あ、数学の試験が待っている。

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