綺麗な休日をおくれない

 久々の休日が快晴だと知って、昨夜から休日にやるべきことを考えてから寝た。
 朝早く起きて、洗濯物を干す。また水回りの掃除、溜まった食器類を片付けた。カーテンからたっぷりと陽射しを浴びながら、有意義な朝を過ごした思う。クイックルワイパーで床掃除をしているときなんか、結構得意げに体を動かしていた。
 まだ朝の時間は残っていたから、YouTubeで英語勉強をした。なんだか勉強という言葉を頭に入れるだけで、やってやったぞという達成感を得られてしまう。十分に朝の活動は、うまく行ったと思っていて、午後もすんなりと予定が終わるだろうと思っていた。
 私の日頃の行いが悪いのか、その充実感を最後まで保つことはなかった。
 午後一番に美容院に行き、下北沢を散策した。しかし髪を切り終わったごろから、偏頭痛がしはじめたのだ。頭の片隅を包丁で切り刻んでいるような頭痛が、静かに脳内を揺らす。私はせっかくの休日が台無しになることを避けるために、その頭痛を感じながらも散歩することを続けた。このまま帰ってしまうなんて、勿体無いと思ったのだ。  
 前から行きたかった喫茶店に入ると、昔ながらの雰囲気が店内には充満していて、壁は煙草の脂で茶色く濁っていた。
 カウンター席に一人の女性が座っていた。一番隅で、カフェグラッセを頼んでいた。氷を砕いてグラスに入れる店主の前で、人工的な光に顔を向ける女性。腰までいきそうな黒髪は、照明を遮って闇と同化していた。
 私は煙草を一本吸った。頭痛がしているのに雰囲気に酔って、もしかしたら治るかもしれないと案じながら深く煙を吸い込んだ。しかし頭痛は悪くなる一方で、他のお客様の副流煙も吸っているために、気持ち悪さが倍増した。私はこういった喫茶店には、向いていない人間なのだろうとつくづく思った。
 足取りが重いなか、まだ帰るには勿体無いという、変な精神で散歩を行った。外の空気は幾分か気持ちを和ませたが、いつもの私には戻らなかった。
 そして頭が正常に働いていないためか、古着を衝動買いしてしまったり、行ったところで何もしないことは分かっているのに、路地裏を果てしなく散策したりもした。青空が茜色に変わるころに、もう帰ってもいいような気持ちになった。
 最後に腹が減っていたので、すた丼へ行った。その瞬間は食えると思ったのだろう、飯増しを頼んだ。返ってこれが、いけなかった。
 やってきた丼の大きさに愕然として、絶対に完食できないと思った。思ったのだが、今さら過去には帰られれないために、箸を進めた。がつがつと口の中に飯を放り投げたが、それも最初の五分ぐらいだけで、あとは食うことの楽しみなどこれっぽっちもなかった。店員さんが、ほれ見たことかを言った顔をしているように感じた。
 涙ながらにあと五掬いほどのところでギブアップした。素知らぬ顔で店内を出ようとしたが、店員さんたちは、ありがとうございましたと明るい挨拶をする。ご飯を残した私は、いかにも卑怯者に見えて悲しかった。
 溜まりに溜まった満腹感、疲労と頭痛を抱えて電車に乗った。自宅に帰るとすぐに頭痛薬を飲んで、横になった。軽い涙を流しながら、こうなることを予想できなかった自分に腹が立ってしまった。
 
 私の人生は、そんなものだと思った。うまく行っていると思っても、結局最後には皺寄せがくる。気持ちのいい休日をおくるぞと意気込んでも、破綻が生じてしまう。
 私は、私の可動域を知らないと思った。
 ここまではできるが、ここまでの力はないことを自分で知らないから、やってくる不幸を回避できないのだなと感じた。それができるれば、程よい休日がやってくるのかは分からないが、私はそう信じたいと思った。

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