おまじない 3

1時間目の算数はやっぱり退屈だった。教師のみちる先生はいつも字が斜め上に上がる。気づいていても直せない癖なんだって。しかも斜め上に上がるたびに字が小さくなるから見えなくなる。それを指摘すると怒って拗ねちゃうから、こっそり隣のたくまくんにノートを見せてもらうことがある。目がとてもよくて物静かだから私の隣にいてくれて嬉しい。それについて何にも干渉しない、たくまくんは私がこっそり鼻くそをほじってても、誰にも言うことはない。言ったら私がみちる先生みたいに怒るとでも思ってるのかな。でもそうじゃなくて、きっと自分も同じように隠してることがあるからなのかもしれない。だって自分の意見を言わないたくまくんって隠し事が沢山あって、口に出したら全てのボロが堪えてた涙みたいに溢れ出すような気がしたから。私はそんな不思議なたくまくんがこの世にいるのか、いないのか時折見失いそうになってしまう。もしかしたら私にだけしか見えてないのかもって授業中思ったりもするほどだ。
みちる先生の授業が終わって宿題を言い渡された時には皆はもう、聞く耳なんて持っていなかった。机の中に教科書をしまって遊ぶ準備に取りかかっている。がやがやと遊びたい、遊びたいと沸騰しかけている。
ベルが鳴ると一斉に皆が立ち上がって駆け回る。私はその勢いにはいつも慣れないでいる。どうも一緒になって合わすことが難しいのだ。そう迷っているとかりんちゃんがとことこやってきて、ぼそっと言った。
「ありちゃん、一緒にトイレ行こうよ」
私はいいよって言って二人で廊下に出た。他のクラスの子たちも沢山いて、しっかり手を繋いでいないとすぐ迷子になりそうな気がした。隣のクラスを横切る時に、ちらっと覗くとちーちゃんが知らない女の子たちと楽しそうに笑っていた。しあわせそうに。
上履きからスリッパに履き替える時、外に出たような感覚になる。一瞬、外気が足の裏にすーってやってきて、おはようも言わないで勝手に無断で忍び込んでくる。かりんちゃんは一番奥の個室に私を連れてきた。かりんちゃんは誰にもばれないように周りを見ていた。
「ねえ、何するの?」
「まあまあ、見ていて。面白いことするね」
そう言ってかりんちゃんが細い指を口の中に入れ込んだ。習慣づいたように手慣れた仕草みたいに見えた。
「かりんちゃん……」
私が指を戻そうとすると、入れてない手で私を阻止した。不気味な音とかりんちゃんじゃない、どす黒い声が聞こえてきた。
ちっちゃいおじさんを見たって誰かが自慢げに話していたけど、かりんちゃんはもしかしたら口の中に住ませているのかもしれないと思った。おじさんを起こそうとしているのかな。
響いた気持ち悪い声と涙が便器の中に落ちていく。
「ねえ、かりんちゃん」
反射的に私はかりんちゃんの背中をさすっていた。舌先から真っ白な液体がたらんと垂れてきて、少しだけ頬が上がったのが見えた。かりんちゃんは十分満足した、清々しい顔色をした。
「面白いでしょ。これやらないと気持ち悪くなっちゃうんだ、わたし」
便器の中に水と涙と本物の生き物みたいに液体が動いていた。
「いつもはもうちょっと出てくるんだけど、今日は昨日食べたものが少なかったからこれだけしか出なかった。ありちゃん、これ面白いからやってもいいよ」
かりんちゃんは私に面白い遊びを提案してくれたんだ。でも私はちっちゃなおじさんなんか見たこともないし、涙なんて出したくないって思った。
「気が向いたら、やってみるね」
なんて、期待もない返答だけしてベルが鳴った。
急いで大で流して一生懸命、私は学校の中に入ろうとした。違う世界に迷い込んだ気がしたのだ。かりんちゃんの足首が鉛筆みたいに尖ってて、走ったら折れるんじゃないかって心配しながら、私たちはクラスへ戻った。


私は人よりも沢山の空気を取り込むことができる。だからかもしれないけど、マラソンではいつも練習なんてしなくても上位に入っている。
大きく鼻で吸うと、ほんのちょっと鼻が浮くらむらしい。とかしぎくんはそれを笑いながら皆に言いふらす癖がある。誰だって膨らむくせに、私が嫌な顔しないからってそれをいいことに、意地悪するんだ。その場は私の話に持ちきりになっても、すぐに他の話題に変わってしまうから別にいいんだけど。
とかしぎくんの悪いところって他にどんなところがあるだろうって考えてみたけど、考えただけで無駄なようなが気がした。だって、運動はできるんだけど勉強は皆に笑われるくらい下手なくせに、きまってそのぐらいが丁度いいような満面の笑みで返してくるから、非のうちどころがないようである、開き直りの塊が私にはどうも手が出なかったからだ。
とかしぎくんって正面から見ると鼻の穴が見えない。それぐらい鼻筋が高い。鼻だけ取ってつけたように、それは不自然についていた。
「なんだよ、ありさ」
「いや、なんでもない」
「なら見てくんなよ。お前この鼻が羨ましいのか?」
「別にそんなんじゃない」
「ふーん、ならいいけどなー」
とかしぎくんは私の欠点を知っていて、それを上手に巧みに弄ぶんだ。校庭を思いっきり走って横切る、とかしぎくんの体操着が私の心みたい揺れた。とかしぎくんは決して振り向いてはくれなかった。
体育倉庫の前のベンチにかりんちゃんはいつも座っている。体育の時間は見学ばっかりで、かりんちゃんが運動しているところをわすれてしまった。
かりんちゃんは体育の時間になるといつも、とかしぎくんを見ている。細い指を太腿で弾きながらとかしぎくんに合わせて顔が動く。確かにとかしぎくんはかっこいい。かっこいいものって不思議と目で追ってしまう。
隣のクラスと合同で体育をやっているから、ちーちゃんも一緒だった。そういえば、たくまくんってちーちゃんのことを目で追っているような気がする。でも気のせいかもしれない。だってちーちゃんはみんなの人気者でついつい目についてしまうほど輝いているから。

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