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読書感想文③ サキの忘れ物

小さな出会いから人生が広がる。そんなことがあるかもしれない。

津村記久子作 「サキの忘れ物」を読んだ。
自分の将来に悩み、何か自分が変われるものを見つけたいと思っている今の私に刺さる一冊であった。そして、感想文を書きたくなった。

今の状況に満足なんかしていない。
かといって何かやりたい事があるわけでもない。
そんな現状で、この感想文noteを書いたところで、今後の自分に何の役にたつかなんて分からない。さらに、noteを書いたところで現状を変えられる訳ではない。
けれど、私の心を刺してきた「何か」が何なのかだけでも文章にしたい。
そう思い、私はこの本の感想文と今の自分を重ね合わせた、いわば「お気持ち表明note」を書くことにした。
(以下、ネタバレ有り!)


(↓短編集になってるので、読書が苦手な人にもオススメです!)



以下、あらすじである。
高校を中退し、病院に併設する喫茶店でアルバイトをする千春。ある日、常連客の女性が忘れていった「サキ」という作家が書いた一冊の本を手にする。誰からも取り合ってもらえず、自身も誰かとの関わり、何かを知るということを諦めていた千春。そんな千春の人生が1冊の本によって動き始める。そして10年後、司書として働く千春は常連客との再会を果たす。

決して大きな展開はないが、疲れた日々に微かな希望が見えるような、心が温まるストーリーだ。些細な出来事から千春の人生が広がっていく光景には、俗にいう”運命的な出会い”なんてものは存在しなくて、さりげない出会い一つ一つは自分の行動次第で運命的にできるのかなと思えて、勇気が出る。
このようなハートフルストーリーなら今までも読んだことがあった。だけど、ここまで刺さったものはなかった。
この本に心を動かされた要因は、自然体な心情表現と大きくはない展開である。


1. ”虫の良いことは望んでいなかった”

節々に散りばめられている自然体な感情表現が大好きだ。
飾らない表現が、自然と千春に感情移入させてくれる。
中でも印象的な文章を2つ紹介する。
一つ目は、千春が生まれて初めて自分で本を買った時の気持ちを表した文章だ。

(「サキ」の本を読むことで)それで自分が、何も面白いと思えなくて高校を辞めたことの埋め合わせが少しでもできるなんて、虫の良いことは望んでいなかった。けれども、とにかくこの軽い小さな本のことだけでも、自分で分かるようになりたいと思った。

本を読んだところで、周りから見た千春の立場が何か変わるわけではない。
でも千春の中で何か変わりたい。そんな気持ちが1文目に素直に表現されいる。
そして最後の文は、人が何かに夢中になる時のあるべき感情なのかなと思う。

キャリアに悩んでいる今、私は「これを始めることが自分の将来にどんなメリットがあるか」を重要視してしまう。つまり、”虫の良いこと” を望んでしまう。転職サイトを調べていても、「この仕事は今感じている劣等感を拭えるのか?」という視点から見てしまう。そして、「本当に自分は変われるのか?」、「収入が減ったら惨めだな」、「今よりも状況が悪くなったらどうしよう?」と不安になり、躊躇するの繰り返しだ。
だけれども、そういう視点で物事を見ていること自体が、自分にとっての本当のやりがいを見つけることをを邪魔しているのかもしれない。
素直に、「分かりたい。やり遂げたい」と思える目の前の小さいこと。
それこそに、納得いかない現状を打破するヒントがあるのかもしれない。
それが将来的に何の役に立つのかもわからない。茨の道かもしれない。そんなメリット、デメリットを度外視してまでも、今やってみたいと思えること。それこそが、人生の選択肢を広げてくれる可能性を信じてみたいと思えた。

二つ目に紹介するのは、本を読み進めて、興味を持ち始めた千春の心情表現だ。こちらもまた秀逸である。

その話を読んでいて、千春は声を出して笑ったわけでもつまらないと投げ出したわけでもない。ただ、様子を想像していたい、続けて読んでいたいと思った。

「夢中になった」「魅了された」といったまとまった表現でないところが、とても良い。前文の表現は、有名人の生い立ちインタビュー等でもよく目にする。もちろんその言葉に嘘はないのだろう。だけど、その一言が全てをまとめすぎているため、瞬間瞬間の心情の変化を捉えるのは難しい。それゆえ読み手の私からすると、「夢中になるってどういう状態だ?」と考える。そして「今の状態は夢中になっていると言えるのだろうか?」と正解がわからず一歩も進めなくなる。(我ながら臆病者である。)
だからこそ、この「ただ様子を想像していたい、続けて読んでいたいと思った。」という表現は、何かに夢中になる瞬間を切り取った言葉であると感じた。そして、この感情なら、私にもその瞬間を見つけられるかもしれないと思わせてくれる。


2.「今度はここに通ってください」

この話は、最後まで大きな展開はない。
常連客と出会ってから数日間のやりとりの後、場面は10年後に移る。
あらすじにも書いた通り、10年後千春は司書として、書店で文芸コーナーを任せられるようになる。そこに、かつての常連客が現れ2人は再会を果たす。
その常連客は、今度は自分の病気で病院に通っているという。そんな常連客に千春は「今度はここに通ってください」と声をかけて話は終わる。

千春はビッグになった訳でもなければ、常連客と再会して2人に大きな変化があった訳でもない。しかし、「今度はここに通ってください」と言う何でもない終わり方が、かつて誰からも取り合ってもらえなかった千春が、誰かに必要とされて支えになろうとしている充実感をよく表現している。そしてこの終わり方は、名誉や肩書きばかりを第一に考えてしまう私に、それだけが全てではないという当たり前だけど忘れてしまうことを思い出させてくれる。

常日頃から学歴コンプを抱えている私は、何とかして高い社会的ステータスを獲得したいという闘志に雁字搦めになる。もちろん、その精神が良い方向に働くこともあるが、そこに縛られると自分の可能性を見失ってしまう。
だけど、本当に嬉しいのは良い点数を取り”優等生”と言う肩書きを得られた時でもなく、成約数で誰かに勝った時でもない。困っている誰かの支えになれていることを実感できた時だ。
”誰かを支える”
どんな仕事に就こうとも、それがいちばんの原動力である。
そのことに改めて気づくことができた。

3.最後に


「サキの忘れ物」

この本の感想なのか自分語りなのか分からない、つらつらとした文章をここまで読んでくださった方々には感謝しかない。
最初にも書いた通り、私自身このnoteを書いたところで現状が何も変わる訳ではない。むしろ他にやるべきことが山ほどある。(因みに、月曜日までの課題×3・火曜日〜金曜日までの研修準備から目をそらしてこのnoteを書いています。)
けれども、この本を読んで感じた普通でない感情を文章にすることで、何者なのか、何者にならなれるのかがよく分からない自分自身のほんの一部でも理解できたのかなと思う。

そして、あわよくばこの自己満足noteを読んでくれた読者の1人でもいいので、「サキの忘れ物」を読んでみようと思ってくれる人がいたら嬉しい。













 








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