修学旅行以来の広島旅で感じた想い
世界平和。
そんな言葉を自分が使うイメージは全然なくて。
自分とはかけ離れた、世界情勢に関わる仕事をしてたり、NPOやNGOで働いていたり、、、そういった方々が使うようなイメージがあって。
だから、いつもどこか傍観者でいるような、そんな想いがありました。
2019年6月16日。
何でもないただの一日。
そんな日にふらっと、広島にある平和記念公園に行ってきました。
1945年8月6日。
その日もきっと、なんでもないただの一日やったやろうに。
世界が変わったその日のことを、しっかり心に刻んできました。
つらく、濃い時間でした。
だからこそ、そんな事実を改めて知った自分はどうするべきか。
整理も兼ねて、少し記そうと思います。
ぼくは今、大阪の京橋にあるコワーキングスペースで働いています。
日々たくさんの方と関わりながら、たくさんのイベントを企画したり調整したり、、、。毎日いろいろ感じ、悩みながらも前に進もうと遮二無二働いています。
ここに至るまで、随分いろんなことがありました。
いつかまた書く時が来るかもしれませんが、ほんとに濃く、つらく、しんどいことも多々ありました。
自分は人と同じことをするのが苦手で、常に違ったことをしようとしちゃいます。だから、人と合わないことがたくさんありました。
今の自分は、そんな自分を受け入れてくれる人と一緒にいれるから、自分らしく働けるし、生きていられる。
でも、そうじゃない人。自分の考え方を否定されたり価値観を否定されたり、生き方を否定されたりする環境にいる人。
そんな人って、世の中にまだまだいる気がしていて。
ええやん周りが何を言おうが。
自分が生きたいように生きたらそれでええやん。
言葉は簡単でも、実際にそれが出来るのはほんとに一握りの人間だけ。ほとんどの人は、動けません。
ぼくは、そんな方にこそ頼られる、あったかい場を作りたいなと思っています。だって、ぼく自身がほんとに救われたから。
なんかしたい、けど何をしたらいいのか分からない。
今のままじゃだめだ、でもどこを頼ればいいのか分からない。
そんなときに、思い出してほしいんです。
彼が作るあの場に行ってみよう。
何か、ヒントがもらえるかもしれない。
その一歩があるだけで、殻にこもっていたかもしれない人生を、ちょっとだけ違った方向に進められると思っていて。
昔とは違い、生きやすくなった半面生きにくい世の中になってる気もします。つながりとか、コミュニティとか、そんな言葉が乱立していて、何が本物か分からない、でもどこかに属していないと仲間外れにされる。
そんなしょーもないことを、もう言ってほしくなくて。感じてほしくなくて。一人でも、ほんとに自分らしく生きることが許される世の中になったら、一つ、そこに平和が生まれると思っていて。
ぼくは、わたしは、これがしたい。あれがしたい。
やめときな、どーせむりだから。
じゃなくて、
ぼくは、わたしは、これがしたい。あれがしたい。
ええやんそれ!
よし、とにかくやってみよう!
という感じで、どんどんプラスに変換出来たら、もっとええんじゃないかなぁって、思うんです。
もちろん、世の中が人とのつながりで成り立っている以上最低限のルールやマナーはあって当然です。人を傷つけたらいかんし、悲しませてもいかん。それはそれ。けど、ポジティブな想いはどんどん伸ばしてほしいと思っています。
そこで生まれる平和が連鎖すると、きっと少しずつ、大きい輪になっていく。果てしないかもしれないですけど、それが続けばきっと、世界ってもっとあったかくなるような気がしていて。
世界平和。
ぼくはその言葉をうまく使えません。けどなんか、そういう世の中ってきっともっと生きやすいやろうなぁとは思います。
自分に出来ることって、最初の一歩目のところに関わることだと思います。
うちのコワーキングスペースで、想いがある方の第一歩目をサポートする。それを続けることが、もしかしたら世界平和の一端を担ってるかもしれないなぁって思いながら。
大げさかもしれないですけど、ぼくが出来ることってこれぐらいですし、それをすることが今回広島に行った意味かなぁなんて思ったりもするんで。
これからも頑張ろうって。
そう思えました。
いつかそんな世の中が当たり前になって、世界平和って言葉もなくなればいいのにな。
なんてことを思った、なんでもない1日でした。
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