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TISLRの通訳コーディネートの話①

TISLRの通訳コーディネートをやった。それからいろいろありすぎて何も書いていなかったが、記憶がなくなる前に少し書いておこうと思う。

TISLRというのは国際手話言語学会と日本語に訳すことになったらしい。そもそものタイトルはTheoretical Issues in Sign Language Researchという。手話言語研究の理論的問題、の学会である。多分、記述的な研究とか、社会言語学っぽいイシューとかと差別化するためにつけた名前なんだろう。

この学会が日本に誘致されることはオーストラリア大会で決まった。2015年の冬のことである。私は出産直後で、SNSでそれを見て「は?」となっていた。TISLRが誘致されることが決まったと、手話ニュースでも扱われていた。わくわくよりは「は?」だった。可能なの? と。(そういえば大阪でTISLRが開催された本番の時は手話ニュースで取り上げられたのだろうか)

その前の2013年のロンドン大会にはただの聴衆として参加した。まだ松岡和美先生の「手話言語学の基礎」もでていなかった年のことである。ポスドクをはじめたばかりの私は、日本手話が多少できるようになっただけの駆け出しの研究者だった。ロンドン大会で私がみたのは、通訳がずらっと壇上や檀の下で通訳を一斉にやっている様子だった。あれを、日本で、やるの? 学術的な話の通訳者を確保するのに困難が多いのに? そう、TISLRの通訳は、現地の手話言語も必須なのだ。

コロナ前の2019年秋のハンブルグ大会にはポスター発表で参加した。1週間かけて書いた渾身のアブストが落とされ、自分が企画したシンポジウムの合間の旅先の30分で書いて、来日していたメンターに5分で英語を見てもらって出したやつだけポスター発表に採択された。

ハンブルグ大会は、Prof. Christian Rathmannというドイツのろう研究者が仕切っており、かなりろう者オリエンテッドな大会だった印象がある。

受付にろう者しかおらず、うっかり英語で話しかけたら手話? と言われたので、なけなしのアメリカ手話(ASL)と指文字でなんとか自分の名前を伝えて名札を確保した。ISの通訳もいたし、発表も手話と英語の同時発表が格段に多くなり、懇親会場のテントでは、アメリカ人の聴研究者が英語で話してくれなかった。SNSで「もうTISLRでは音声で話すのはやめたほうがいい」みたいなことを言っている人が多かった。私は、日本のろう者の集団にひっついて回るしかなかった。英語が話せることはアドバンテージにならない。ASLがしゃべれるろう者の横にいた方がよっぽど懇親ができるのであった。ポスター発表は、国際手話というか、接触言語ないしアメリカ手話などで行われていた。国際手話ができない私は、日本人のろう者や聴者に説明するか、声で聞いてくれる人に説明することくらいしかできなかったのだが、とにかく必死で身振り手振り(これは手話ではない)。なんだこれは、マジできつい。

手話研究者は対象の手話言語だけでなく、英語は元よりASLも国際手話もできないとダメか… 英語話者でアメリカ手話を第二言語で学んだ人にはちょっと手話だけで学会やろうぜみたいな特権を振り翳されたくないんだけど…💦

(手話研究はろう者がやれば良いという言説は別に反対はしない。でも、多分ろう者が手話研究をできる環境を作るのに、日本ではまだ聴者の言語学者にやれる仕事が結構ありそうだ。というわけで手話研究を続けている。そもそも手話が社会的な地位を獲得すれば、大手を振って聴者でも好きな研究ができるわけで、そうなるのを待つのではなく、その状況を作ろうと思って研究をしている感じになってきた)

その状況で「な……え…? 日本でこれやれるのか? スタッフいなくない?」とかなり恐れていた。

それで迎えた2022年。私は、いろいろ忙しいというのと不安定な身分のこともあり、ローカルコミッティには恐ろしくて入れなかった。とはいえ、手話関係者としてはこの年でも若手だし同世代が乏しいので、働かないわけにもいかず、通訳チームに所属させてもらうことになった。そうなると、当日は走り回らなければならず、発表なんか無理だ、と早々に諦め、走り回るための準備を始めることになった。二兎を追い続けて失敗しているような気がするからここはコーディネートに徹してみようじゃないか。

大会は9月末だったが、8月中に夏バテしていたので、涼しくなってきた段階で、まずやったことは走り込みであった。通訳をバックアップする仕事、体力は必須だ。それから、細々とした仕事。通訳コーディネートは、通訳の人々の組み合わせと順番を決めて、資料を整理して渡して、通訳者の負担をできる限り減らし、当日ベストを発揮してもらうための仕事である。

最初は、通訳者から「なんだこいつ」状態で見られていたことがなんとなくことばの端々に見えたけれども、最終日にはかなり和やかな雰囲気になっていたので、それなりにお役目は果たせたと思う。「なんだこいつ」状態だったのは、手話通訳者たちが、事前の予習会をしたりなんだりしていたが、私はその頃別の仕事でてんやわんやしていてぐったりしていたのでそれには参加しなかったせいかもしれない。そもそも私は通訳をしない人なので、通訳者からみれば、「本当に自分たちのフォローをしてくれるのか? やることわかってんのか?」といぶかしく思うのは当然である。それにも増して、単に予習が大変すぎて皆さん、他人を気遣ってる余裕がなかっただけかも知れない。……多分それだ。

私の役回りは、とりあえず学会運営がわかっていて、英語・日本手話の通訳がつく国際シンポジウムを仕切ったこともあり、英語と日本手話がそれなりにできるという人がやるべき仕事全部だったようだ。

ただ、通訳がつくイベントの運営をやったことがあったといっても、TISLRは「国際手話言語学会」なのである。手話言語学の最も有名な学会で、ここでの使用言語は「英語、アメリカ手話、国際手話、現地の手話」であって、今回は現地の手話=日本手話は入るが、日本語は入らない。また音声言語しゃべっちゃいけない縛りか…と思いきや、日本手話までの通訳にリレー通訳が入るのである。英語→日本語→日本手話。だから、日英通訳の日本人とやりとりする仕事がでてきた。ついでに、英語資料を日本語に訳す仕事をやってくれている人もおり、とにかくその辺についてどたばたすることになった。

(つづく…かなあ?)

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