一昨日の「思考実験」に関する思考・議論,より良い教育をつくっていくために。

昨日(12月23日・土)は,教師の知的な「思考実験」の配信をお休みしましたが,本日(12月24日・日)から再開しますね!

一昨日は,ChatGPTで作文(レポート)を書いたAさんが不登校になっているという内容の状況(シナリオ)でした。

3つの視点,「実際に起こったら,教師として」,「理想的には,教育論的は」,「教採で出題されたら」で考えてみる前に,ここでは,知的な議論を戦わせてみましょう。

このシナリオの中には,たくさんの議論すべきことが詰まっています。

単に,人によって意見が違うということだけではなく,議論する値打ちのある問題がたくさんあります。こうした議論をすることが,教育や指導,そして,学校をよくすることに繋がっていきます。

では,議論を始めてみましょう。

1. 作文やレポートを書くために,AI(例えば,ChatGPT)を使うべきかどうか。

単なるゴーストライティングはいけないというのは,多くの人が同意するでしょう。

でも,AIに相談するというのはどうでしょうか?

作文やレポート,卒論などを書くときに,友人や先輩,先生に相談することはありますよね。

相談して,ヒントをもらったり,参考情報をもらったり,アイデアを出す手助けをしてもらうことに,何の問題もないでしょう。

中には,AIを使ったら,使ったことを作文(論文)等に明記すべきだという人もいますが,友人や先輩,先生に,ちょっと相談して,ヒントをもらったら,そのことを作文(論文)に明記すべきなのでしょうか?

確かに,先行論文や書籍から引用する場合などは,引用ルールに則って,適切に明記すべきでしょう。先行論文や書籍には,知的所有権(著作権)もありますし,公正な学問的な慣行もあります。

でも,友人とちょっと相談したとか,指導教官とちょっと相談したという場合は,特に,明記する必要性はないでしょう。

AI(ChatGPT)は,友人や先生と同じとみなすのか,それとも,先行論文や著作物とみなすのか,ここは,議論する必要がありそうです。

AIを友人や先生のように見なすのであれば,AIに相談しても,明記する必要はなさそうです。

AIをどう捉えるか,教育の場で,議論を始める時期になっています。

2. 不登校気味になったAさんには,どのような対応をすべきなのでしょうか?

不登校になっているということなので,何らかの対応は必要でしょう。

不登校期間中の学習支援などは,当然,必要になってきます。

でも,ChatGPTを使って書いた作文(レポート)に関する指導は必要でしょうか?それとも必要ではないのでしょうか?

ここも考えどころです。

既に,学校通信等で,Aさんの作文(レポート)は,多くの人に絶賛されています。

AIを使ったことを公表して,Aさんへの評価をわざわざ下げるべきなのでしょうか?

そもそも,このシナリオの場合に,AIを使ったことは,倫理的・学問的に非難されるべきなのでしょうか?

Aさんの心の怯えや恐怖・不安は,どのように対応すればいいのでしょうか?

AIの使い方の基準を新たに作るだけで,解決するでしょうか?

また,AIの使い方の基準に関して,一致した意見が得られるでしょうか?

3. この問題は,教師(学校)が解決すべき問題でしょうか?

この問いには,多くの人が,「どういうこと?」と思うかもしれません。

今は,あらゆることに対して,教師・学校が指導をしようとします。

このシナリオとは異なる状況で考えてみましょう。

例えば,失恋して,落ち込み,不登校になった生徒がいるとします。

教師・学校が指導すべきことでしょうか?

もちろん,不登校の支援はする必要があります。

学習支援等は必要でしょう。

でも,失恋について,積極的な指導が必要でしょうか?

今回のAさんに関しても,不登校については,指導や支援が必要です。

でも,AIの使用とその結果,本人が恐怖を覚えていることに,教師が介入できるでしょうか?

もちろん,Aさんが話したい・話を聞いて欲しいということであれば,カウンセリングをしてもいいでしょう。

でも,教師の側からのアプローチが適切でしょうか?

議論は別れるはずです。

しかし,実際にこの状況が起こったら,教師は考える必要があります。

教採で出題されても,考える必要があります。

普段から,こういう教育的な議論や思考実験に慣れておくことは,教育をより良くしていくためには必要なことです。


河野正夫
レトリカ教採学院


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