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自分と相手を癒しているか、破壊しているか

(これはゼロ、たまに補足ミリで受け取った内容)

『私にとってはでも、あなたにとっては

このことを皆が常に心に持てば、少しはましになる。

例えば、とても汚いものを大切な人の形見として抱きしめている人がいたら、そのことは理解できるだろう。『私にとっては汚いものでも、あなたにとっては癒しである』

それは相手の身を完全に分かり合う必要があるわけではない。

生きる or 死ぬ、のような2択しか見えていないならば、その間にある細かな段階(白黒グラデーションで言えばグレーの果てしない細かな段差のようなもの)が重要。そこに何が見えるか。(人と付き合うのはそのスライダーを上げ下げしながら接するようなもの)

その段階が細かい人ほど、共感力が高くて自分にストレスをかけない。

逆に白 or 黒、0 or 100、のように粗すぎる目盛り(オンかオフだけ)だとストレスが多く、そのような思考状態は考えないことといっしょのことだ。

『私にとって死に向かうとは生きること
あなたにとって生に向かうことは死ぬこと』
これを考えることだ。

例えば人生の終わりに見る走馬灯で、0才から死ぬまでのあいだの出来事を、たった5つの事柄だけしか覚えていない人がいるとしたら、おそらく記憶喪失のように"自分とは何だろう?"と不安になるかもしれない。

現在の人々は、過去のことを細かく思い出すことはできるのに、未来についてはそのように見ていない。= 未来への目盛りが粗い(究極は生きるか死ぬかだけとか)

A or B、どちらが正しいかの回答待ちのような状態は、眠っているようなもの。それでは意図・信念がなく、脳波・自己が弱い。

この状況のどんな人間であっても、生きているあいだは必ず助かる方法がある。その方法は人によって違い、例えば我が子を必ず守りたいと願う祈りのパワーのようなものが治癒力に変わることもある。

倒れていない者たちが治癒エネルギーを放出しなければいけない。
医療に頼れない今、倒れていない人間がヒーラーになることだ。
「治したい」という思いは解決の糸口になり、それぞれのさまざまな方法でもってそれを行うことができる。

そもそも、高等な教育やお金があればヒール(治癒)ができるのか?
いやできない。怪我の手当は可能でも、生物は機械ではない。
ストレスがいちばんの毒となるので、医者以上に "治癒力" が重要だ。

傷ついている人たち(身体でも心でも)
後悔や、ショックを受けている人たちがいる。

真実であるかどうかに関わらず、破壊的なプラシーボを増強する者たちは、意図せず破壊的な組織を作ることになってしまう。

地球のエネルギーを浄化しなければいけない。多くが破壊的なエネルギーを放出すれば、草木が枯れることにもつながる。


『常に強くなる方法を考えろ』
どうせなら、強くなる方法を話し合い、反映させる(政治なり何なりに)ことだ。

地震なら、地震が来た→怖い じゃなくて、どうなりたいのか?
揺れたことでどうなるのが怖いのかを考える
そして考えを強さに変えていくことだ。
弱音を吐いて愚痴っても、それらを拡大させるだけで変化は訪れない。



もしも、「ところで、楽しんでますか?」と聞かれたら、現実を目の当たりにしている人たちならこう答えるだろう。
「楽しいわけがない、だってたくさんの人が死んでいるんだ」と。
でも気づかぬ人々はその毎日を楽しんでいる。
もし近い未来に命を落とすとか、歩けなくなるとしても、今を人間らしく生きているのは彼らだ。気づいているあなたは今を純粋に人間らしく生きてはなぜいけないのだろうか?

情報は認識しながら、でもいつも自分の人としての生を誇らしく過ごすことが "生き切る" ということにつながるのではないか。
たくさんの被害者が出ている、そのことはこれまでの長い歴史の中でも見ようとしなかった場所で起こってきたことだ。
それを理由に、過去に楽しく過ごしていた自分の権利は奪われるべきだっただろうか?
あなたが難しい顏でイライラし眉間にシワを寄せていたら、それは自分と相手に笑顔を増やすことにつながるだろうか?
その方法しか選択肢はないのだろうか?

例えば、生ゴミを積み上げた山を作ったとしたら、臭くて汚くて誰も寄り付かないだろう。悲しいことを使って話を聞いてもらおうとするのはそれと似ている。(悲しみや怒りを伝えるなという話ではなく、伝えた先の行動や思考についてのこと)

ストレスは病のもとだから、より多くのストレスを自分と相手に促進することは、薬害のある場所ない場所に関わらず人々の健康を損なうことの加速につながり得る。

(ここで「じゃあ、危険の存在や悲しい出来事についてスルーして、ニコニコしながら過ごせってこと?!」と食いついてくる人がいるかもしれない。それこそが白と黒、0か100、オンかオフしか考えれていない眠っている状態だ)

反対に、"楽しい" の山を積み上げたとき、人々は話を聞きにくる(軽くなれる)自分にも他人にも毒(ストレス)を与えないで生きる方法を考え続けることだ。



受け取った内容は以上な感じですが、「自分は助かった」とか「自分たちは助かった」とかより、「自分たちも助かったし誰かを助けることもできた」とか言える方がきっと清々しい気持ちになれるだろうし、そんな広がりを作っていくことがまず一歩目の務めなのではと思いました。そんなのキレイゴトだと笑う人がいても、それを命をかけて守ってきた多くの戦士たちがいるから【今】があることを忘れてはいけない。私たちは、ストレス面では相当、猫たちに助けられてる〜。猫たち偉大。愛してる。


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