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After東京五輪~これから新体操はどこに向かうのか? <8>

「2020東京五輪」が決定し、喜田純鈴が脚光を浴びた2013年

 ロンドン五輪の翌年、2013年には、ロンドン五輪時にはキャプテンだった田中琴乃がフェアリージャパンを脱退したが、他のメンバーは残留。トライアウトを経て、杉本早裕吏、熨斗谷さくら、国井麻緒らが新規加入し、引き続きロシアでの長期合宿での強化に入った。
 同時に、特別強化選手として皆川夏穂(イオン)と早川さくら(イオン)も個人選手としてロシアでの合宿に入り、ロシア人コーチからマンツーマンでの指導を受けることになる。この年の世界選手権は8月にウクライナで開催されたが個人の日本代表は選考会は行われず、はじめから特別強化選手の2人に決まっていた。個人総合予選での順位は皆川が36位、早川が40位。ロシアでの指導を受け始めて1年にも満たない彼女たちの世界でのスタートはここからだった。
 そして、この世界選手権の直後。9月8日には、「2020年五輪の開催地は東京!」が決定する。おそらくこの瞬間から、日本の新体操強化は、「2020年東京五輪」を中心に回り始める。
 2013年の全日本選手権では、山口留奈(イオン)が3連覇を達成したが、この年、準優勝したのが当時まだ中学1年生だった喜田純鈴(エンジェルRGカガワ日中)だった。この全日本選手権で喜田が見せたパフォーマンスは圧巻で、2020年東京五輪の年に19歳になるタイムリーな逸材の出現にメディアは沸き立った。

「2020年に向けて」の犠牲になったもの 

 「皆川、早川のロシア組の成長で2016年のリオ五輪の出場権を獲得⇒2020年東京五輪はそこに喜田も加えて個人選手2名が出場。フェアリージャパンが団体でメダル獲得。」これが2020年に向けての青写真だったように思う。そして、それは非現実的な夢とも思えないくらいに、2013年以降の強化ぶりは本気だった。資金もかなり注ぎ込んでいたように見えた。
 それだけに、フェアリージャパンと特別強化選手以外の選手たちにとっては、東京五輪は遠い世界の夢物語になっていったように思う。子どもの頃は無邪気に「オリンピックに出たい!」と言えても、ほんの少し現実が見えてきたらそんな夢は口にすることさえ憚られる、ここからの数年はそんな雰囲気が新体操界にはあった。
 「東京五輪は新体操界の夢であり、希望」ただし、それはごく一部の選手たちの肩にのみかかっている。その状態は、五輪を夢見ることも許されない選手たちにとっても、そこまでの重荷を背負わされる選手たちにとっても、あまり幸せなことではなかったように思う。それでも、2020年には東京で五輪があるのだから! 今はそこに向けて邁進するしかない!そんな空気に支配されつつあった。

三上真穂、河崎羽珠愛の国内組も世界選手権で健闘!

 2014年の世界選手権には、皆川、早川ともう一人、国内の代表決定戦を勝ち抜いた三上真穂(東京女子体育大学)が出場している。この年の世界選手権では、皆川、早川は個人総合決勝に進出し、早川が16位、皆川は23位。三上もフープ、ボールのみでの出場だったが国別対抗ではおおいに貢献していた。
 リオ五輪の前年となった2015年には、皆川、早川も出場して国内での代表決定戦が行われた。この時は、早川が1位、皆川が3位だったが、皆川を抑えて2位通過したのが2014年に全日本選手権で初優勝を果たしていた河崎羽珠愛(イオン)だ。河崎は皆川とは同級生で当時まだ高校2年生だったが、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を遂げていた。2015年の世界選手権では個人総合15位に皆川、17位に早川が入り、リオ五輪の出場権「1」を獲得したが、河崎を加えた3人での国別対抗での順位も6位。フェアリージャパンも団体総合5位でリオ五輪出場を決め、種目別「リボン×5」では3位となる大健闘だった。
 ロシアで強化されている選手たちが順当な成長を見せ、国内で切磋琢磨している河崎も世界選手権でロシア組にひけを取らない点数を出してみせた。この頃の日本の新体操はかなり希望がもてるものになっていた。
 このままいけば、リオではロンドン以上の結果が。そして、2020年にはそれ以上に! という夢がもっとも大きく膨らんだ時期だったように思う。

競争が激化してきた国内では高校生が大躍進!

 そして、この時期、国内でも大きな変化があった。河崎が全日本初優勝を飾った2014年に猪又涼子(伊那西高校)が3位に入っているが、河崎と猪又は当時高校2年生。2015年の全日本選手権では、高校3年生になった河崎が連覇達成し、2位には中学3年生の喜田純鈴、3位は猪又と表彰台を大学生以下の選手たちで占めたのだ。団体でも全日本選手権種目別決勝「フープ&クラブ(インターハイ種目)」では、決勝に進出した8チーム中5チームが高校生など、ユース層の充実が顕著になってきていた。
 また、全日本インカレで無敗を誇っていた東京女子体育大学の連覇がこの年止まるなど、国内の新体操は群雄割拠、百花繚乱の時代を迎えていた。特定の大学や高校、クラブではなくても勝つことができる、そんな夢が見られるようになってきたのだ。
 このころの選手たちにとっては、五輪をはじめとした世界の舞台を夢見ることは難しい状況になっていたが、国内での競争はいい意味で激化していて、その先に世界があるかないかにかかわらず熱くなれるものがあったように思う。
 2013年、ロンドン五輪後のルール改正で、ステップが必須になったり、かなり表現を重視する方向に変わったこともあり、新体操の演技はぐっと見ていて楽しいものになった。2013年の国体は東京開催だったが、このときの東京選抜チームの演技は、ジャネット・ジャクソンの曲を使った抜群にクールなものだったが、この作品を作る際には、まず手具をもたずにダンスのインストラクターが振り付けて、その後で手具をつけていったと聞いた。そんな作り方ができ、求められたのが当時の新体操だった。
 2013年の国体に撮影で入ったカメラマンが、「新体操は久しぶりに撮るけど、前に撮ったときよりシャッターチャンスが多い! 選手の表情がずっといい!」と感激しながらシャッターを切りまくっていたことを思い出す。2014~2015年あたりに活躍した高校生たちはそんな時代に育ってきたのだ。 <続く>

20年近くほぼ持ち出しで新体操の情報発信を続けてきました。サポートいただけたら、きっとそれはすぐに取材費につぎ込みます(笑)。