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【感想】「鳥がぼくらは祈り、」(著:島口大樹)/2014.4.7追記
概要
本作は、第64回群像新人文学賞受賞作で、著者のデビュー作です。文体に特徴があるという点で共通している「みどりいせき」とともに読みたいと思っていて、「みどりいせき」を読み終えた次に本作を読みました。
第64回群像新人文学賞受賞!
高2の夏、過去にとらわれた少年たちは、傷つき躊躇いながら未来へと手を伸ばす。清新な感覚で描く22歳のデビュー作。
日本一暑い街、熊谷で生まれ育ったぼくら4人は、中1のとき出会い、互いの過去を引き受け合った。4年後の夏、ひとつの死と暴力団の抗争をきっかけに、ぼくらの日々が動き始める――。孤独な紐帯で結ばれた少年たちの揺れ動く〈今〉をとらえた、新しい青春小説。
(群像新人文学賞選評より)
・〈文法の破綻した叫び〉こそが高二のぼくらのリアルな何事かを言語的に表現する、との説得力。――古川日出男氏
・私がいちばん感心したのは〈一人称内多元視点〉と呼ぶべき視点のつくり方だった。これは文学的に有意義な試みだと思う。――松浦理英子氏
感想(ネタバレを含みます)
選評でも語られているとおりですが、特徴的な文体が本作の白眉な点だと感じました。特に、特徴としては、(これも選評にあるとおりですが、)文法と視点の二点に大別できます。
特徴のある文体(文法)
まず、本作の文法は、句読点や改行、鉤括弧の使い方が、通常のルールとは異なっています。例えば、文章の途中で改行や余白行が挿入されていたり、鉤括弧の外にも会話文が続いていたり。こうした文体はその必然性が薄いと、ともすれば、文体が浮いてしまったりして白けてしまう場合が私はあるのですが、本作は、高2の視点人物「ぼく」の不安定な内面や、後述の視点の移り変わり、短文の連続で構成される文章等と相まって、不思議な心地よさ、読みやすさを感じました。
言葉の選び方や口語体口調が機能していた「みどりいせき」と合わせて、純粋に文体によって物語が深みを帯びる、不思議な読書体験でした。
特徴のある文体(視点)
本作は高2の「ぼく」の一人称視点をベースとしていますが、その文章は、「ぼく」のみならず、友人の池井、高島、山吉の行動や内面も三人称的に語っていきます。「ぼく」が知りようがないような状況まで記述されるため、理屈で考えると一見意味不明にも見え得るのですが、この視点移動がシームレスなために、大きな違和感を感じずに読み進められました。また、この三人称的視点で語られるのが「ぼく」以外の三人に限定されているのがポイントで、本作全体を通して、四人の精神的つながりが把握されます(この点は、古川日出夫さんによる文庫版解説で詳しく述べられています。)。
加えて、この視点移動は人物や空間のみならず、時間も超越し、過去と現在、未来と現在とが邂逅したりもします。また、その未来は平行世界的で、起き得た未来や、起きなかった未来も含まれています。
こうした多元視点が独特の文法ともマッチして、視点が定まらない浮遊感がありつつも、短文言い切り文章によって地に足ついているというか安定感があるという、不思議なバランスで成り立った文体となっています。
気づきの連鎖からのラストシーン
中盤から後半にかけ、池井父の自殺を起点として、高島が別居する母・妹を目にして過去の自分を解放する必要があることに気づき、山吉がビデオに収められたその高島の独白を聞き父と決別し、山吉により池井は父を自死に追いやった男への復讐を思いとどまり、三人との時間を過ごすことで「ぼく」は過去との向き合い方を改めます。この連鎖が綺麗につながるのですが、私は、その伝播の説得力が、上述した文法・視点の仕掛けによって裏打ちされているように感じました。それほどに強い結びつきの四人だからこそ、誰も取り残されることなく、最後は同じ方向を向いているのが爽やかで、個人的に好きな場面です。
また、ラストシーンでは、「ぼく」が冒頭に見ていた二歳の「ぼく」が写っているビデオを見る場面で終わりますが、冒頭シーンの終わりでは、
結局ぼくはそのビデオをもう一度見ることはなかったし、(後略)
と書かれています。この構成はどう解釈すべきなのかまだあまり自分の中で固まった考えはないのですが、本作では平行世界的な概念で語られる部分があることからすれば、冒頭で決まっていた「ぼく」の未来が変わったこと(または、未来は何も決まっておらず、単に現実の連続であること)が示唆されているようにも受け取れます。
池井はまだ揺れている。平行線上に広がった無数の自分の有り様に。
「どう思う?」
高島は記録として残る高島として、未来の高島に向けて、今この地点から地続きでそれでいて別人である未来の高島に向けて問うた。
(2014.4.7追記)本作は小説の表現的限界から脱却しようとしている?
いま本作を妻に読んでもらっていて、妻が読み終わったら感想戦をするために本作のことを思い出しつつ悶々と考えています。
文法・視点の面で独特な文体であることが本作の大きな特徴であるのだけど、なんでこんな文体にする必要があったのだろうかと考えていて、視点の方は上で書いたようにある程度自分の中で腹落ちしていた一方、文法の方はあまり自分の中で整理できていなかった。ただ、本作の後にいろいろ小説を読んで、また、新年度で自分の環境にも変化があったときに、人間の心情って、必ずしも言語化できない要素も結構あるなと気づいた。
その気づきをもとに本作を捉えると、小説は、言語というフィルタを介して状況や人物の心情等を表現する媒体だから、当然文字にできることしか表現できなくて、つまりは、文字にできないことを表現することが困難という、小説の表現面での限界がある(言ってみれば当然だけど)ということに思い至った。本作は、文法的規則をあえて逸脱することで、その曖昧さとかアンバランスさからにじみ出てくる要素を、登場人物の心情や情景として表現していると理解できて、上記「特徴のある文体(文法)」にあるような、読後当初の感想になったのかなと、今のところ自分では整理しました。
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