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「本当に可愛いい子供は悪い子供の中にいる。」坂口安吾 2024年7月20日

「私は放校されたり、落第したり、中学を卒業したのは二十の年であった。」そして「私は働くことにした。小学校の代用教員になったのである。」と第一段落がくくられる。

これは『風と光と二十の私と』で、坂口安吾が1947(S22)年の正月発行の『文芸』に発表したものである。その中の一文が「本当に可愛いい子供は悪い子供の中にいる。」である。
この文章は大変面白く、私が教員になるきっかけの一つにもなったとさえ言っても過言ではないが、実際は、私が教員になったのは、恩師の勧めで採用試験を受けてたまたま合格しただけのことでもあった。

『坂口安吾全集04』(ちくま文庫)で再読してみると、懐かしい以上に、教員としての私のあこがれが散見するようだ。

「私は放課後(略)いつまでも居残っていることが好きであった。生徒がいなくなり、(略)私一人だけが物思いに耽っている。音といえば柱時計の音だけである。(略)変に空虚で、自分というものがどこかへ無くなったような放心を感じる。」

「この娘の母親が(略)娘にさとしてくれというのだ。(略)私の説教などは不要です。問題はあなた方の本当の愛情です。あの娘は(略)親に愛されたことがないのではありませんか。私に説教してくれなんて、とんでもないお門違いですよ。あなたが、あなたの胸にきいてごらんなさい。」

「主任は(略)いったいどうして、叱ったのだ、と言うのである。あいにく私はその日はその子供を叱ってはいないのである。然し子供のやることには必ず裏側に悲しい意味があるので、決して表面の事柄だけで判断してはいけないものだ。

断片ばかりで申し訳ないが、私にはこの小説が、私自身の休養、保護者対応、子どもの指導の要点などを自然に教えてくれていたようだと、今改めて思う。

中にはこういうのもある。
「小学校の先生には道徳観の奇怪な顚倒がある。つまり教育者というものは人の師たるもので人の批難を受けないような自戒の生活をしているが、世間一般の人間はそうではなく、したい放題の悪行に耽っているときめてしまって、だから俺達だってこれぐらいはよかろうと悪いことをやる。当人は世間の人はもっと悪いことをしている、俺のやるのは大したことではないと思いこんでいるのだが、実は世間の人にはとてもやれないような悪どい事をやるのである。

一番最初に引用した文章の前の段落には次のような今では想像もできないようなことも書かれている。
「私は五年生を受持ったが(略)男女混合の七十名ぐらいの組で(略)七十人のうち、二十人ぐらい、ともかく片仮名で自分の名前だけは書けるが、あとはコンニチハ一つかくことのできない子供がいる。二十人もいるのだ。このてあいは教室の中で喧嘩ばかりしており(以下略)」

「本当に可愛いい子供は悪い子供の中にいる。子供はみんな可愛いいものだが、本当の美しい魂は悪い子供がもっているので、あたたかい想いや郷愁をもっている。こういう子供に無理に頭の痛くなる勉強を強いることはないので、その温かい心や郷愁の念を辛抱に強く生きさせるような性格をそだててやる方がいい。」

代用教員をやったことのある作家は何人もいる。
石川啄木、宇野浩二、宇野千代、新美南吉、宮尾登美子・・・
実際の教員経験となると、さらに増える。

今回はあえて省略したところには、もっと面白いことが書かれており、教育の専門書や法令や指標よりも、実際の学校現場では、『風と光と二十の私と』が支えらえた具体的場面を、私は今もいくつも思い出す。




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