見出し画像

雑記/二年半実り続けた初恋が一分半で終わったわけだが



私と二年半遠距離恋愛を育んできた男がいきなり「他に好きな人ができたから別れたい」と申してきた。いきなり。私の実習期間中に。なに?

「好きな人とはいつ出会ったの?」
「最近」
「どこで出会ったの?」
「職場……?」
「その人のどんなところが好きなの?」
「う~~~ん……」
「いいよ、わかった。別れよう。合鍵は返してほしい」
「うん。俺も靴とカードは返してほしい」
「わかったよ。ありがとう。さようなら」
「ありがとう」

この間、約一分半である。

勘違いされるかもしれないけれど、私はあの男のことが好きだったし、友人に「遠距離なのによく頑張ってるよ」と折に触れて言われるくらいちゃんと大事にしていた。
はじめて恋人をもったにしては中々上出来だ。

だけど。だから。



私がつらいくるしいしんどいと嘆きながら頑張って実習をやっているときに振ってくるほど、私に興味がない男、こっちだって興味ね~んですよ。


電話を切ったあと、耐えきれず泣いた。状況を知った友人が話を聞いてくれたときも、一人のときも、何回か、泣いた。

でも、未練はもうない。
連絡先も写真ももう消した。


私とあの男の間には「愛するのに理由を要する私/要さない彼」というデカい溝があり、それは「話し合いを積極的にしたい私/したくない彼」という壁として、往々にして私を悩ませていた。

私は、たとえば恋人が倫理的に誤った行動をとったとき、その理由や背景を知りたがる。相手を許したいし、わかりたい。完全に納得しなくても、そのための努力をしたい。
だから、大体の対話は好きだし、対話の内容が私にとって苦しいものだったとしても、それは二人の関係を深めるのに必要だと信じて疑わなかった。
ところが、向こうはそれを必要としない。
向こうの愛は本能的で、「人は選ぶが、選んだ相手のことを理由なく全肯定できる」
それだけならまだしも、私が相互理解のために話し合いを持ちかけることを「言語化は苦手だし、ちがいを突きつけられているようで苦しい」と拒否されてしまった。


「話し合いができない人とは別れた方がいい」

SNSでも肉声でも聞き飽きた助言だ。私もそう思っていた。彼が「話し合いができない人」に該当するまでは。
彼が「話し合いができない人」だと判明した際の会話で、彼はこう言っていたのを今でも思い出せる。

「かえりみは話し合いが好きだし、必要と思っているんだろうし、それ自体は別に良いことだと思う。でも、あなたの周りにいる人がそれを “あなたらしい” と受け止めているように、 “話し合いをしたくない俺” は “俺らしい” と受け止めてもらえないの?」

それはまあ、そうなんだよ。

このときにわかったのは、

・二人で一緒にいるためにはどちらかが折れないといけない
・彼は折れる気がない

ということで、ついでにおそらく彼はここまで考えていないであろうこともなんとなくわかっていた。


そりゃあ苦しかった。
私が関係を続けるために必死で考えていることを、彼は考えないし、考えるつもりもないし、考えることが苦痛だという。

なぜ私ばかりが、という孤独感もさることながら、「私にとっての愛が彼にとっての愛とは程遠い」という事実が一番グロテスクできつかった。
私にとっての愛とは、完全にそうすることはできなくとも相互理解するための努力を諦めないことで、言葉にすることはそのためのツールだった。
私の愛が彼にとってそうではないということは、私は彼を愛することができないという証明に他ならない。


だけど、それが、 “彼だった”。

私は結局、彼を愛することを諦めたくなかった。
違う考え方だろうと、違う人間だろうと、それでも一緒にいましょうと結論付けることをやめたくなかった。これが傍目からみて愛でも情でも弱さでも孤独に耐えられないあらわれでもよくて、ただ、私にとって、私と彼はまだ途中だった。
苦しくても傷ついても、それはすべて私にとって祝福である、と、私にとってただ、そういう話で。

そういう話、だと思っていたら、他に好きな人を作られてしまったわけだが……。


だから、未練がない自分に、少し納得している。

だって、私、諦めなかったもの。
できることは全てやった。
彼の価値観に乖離を感じたあとも、彼と関係をどうすればうまく保つことができるか、ずっと考え続けた。別れようと思って付き合う人なんていない、それは本当にそうで、私にとって「彼と付き合い続けること」は前提だった。
「他の人を好きになった」っていう感情は、彼によってしかコントロールができない。人の感情を変えることはできない。私が変えようと努力したとしても、片道三時間の距離にいる私は、彼の新たな好きな人と彼を取り合うには地理的に不利すぎる。


二年半付き合って、愛して、一分半で別れた。
未練も恋心も、一分半で断ち切れた。

だけど、きっと、忘れない。
私が彼との関係を諦めたくなかったのは、私とは明らかに種類の違う愛がそれでもここちよかったからだ。理由も背景も必要としない愛は、だからこそ絶対的な肯定に満ちていて穏やかだった。苦しくも優しくも楽しかった二年半も、今の私を確かに形成している。

ただ緩やかに、過去になる。
執着もきらめきも願いも消えて。
彼にとっての私がそうであるように、ただひとつの記憶が自己に眠る。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?