【ドアノブ】_086 当たり前という有難さと感謝
【ドアノブ】_086 当たり前という有難さと感謝
生命というのは当たり前ではありません。
進化の過程で成り立ちも偶然のものです。
ジャイアントインパクトが無ければ月も存在していませんでした。
もしも、隕石が落ちていなければ、今も恐竜の時代だったかもしれません。
氷河期を繰り返して生命のほとんどが絶滅した経緯が無ければ、今の生命社会も違ったものだったでしょう。
酸素があるのも当たり前ではありません。地球史46億年の中のたまたまの出来事です。
そうすると人類が誕生しなかったかもしれないし、そうすれば、産業革命もありませんでした。
人類といういくつかの種類の中で我々の祖先達が生き残ったのも偶然です。
そして、我々の成り立ちもまた偶然です。
きっと我々が存在するのは宝くじが当たる確率よりも果てしない低い確率で存在しているのです。
そう考えると呼吸を出来ている事も、これだけの文明があることも、進化の過程でのコミュニケーション能力というのも集団生活の上で偶然出来たものでしょう。
そして、様々な種類の人がいるから、好奇心旺盛な人がいたから開拓や発明が試され、文明が進んだと思うし、慎重な人は身内を守る事や備えをすることができるなど、多種多様の良い部分が補いあって、文化が発展してきたと私は思います。
地球史や人類史など辿っていくと偶然や奇跡とかというのがいくつも重なって今があるとわかってきます。
その地球の存在さえも偶然というのに、あたかもそれが当然のように今は私も生きています。
呼吸をしたことに有難みを感じたことはありません。人がその辺にいるのも有難みを感じたことはありません。
小さい頃、母が家事をしてくれていたことに有難みを感じたことはありません。父が稼いでくれていたことにも有難みを感じていませんでした。
他にも、水道があり水が出ること、電気があること、スマホがあること。
当たり前の反対の言葉は、有難い。だそうです。
有るということが難しいということですね。つまり当たり前ではない。
当たり前ってこの世の中にあるのかな。家も作れない。服も自分で作れない、普段の食べる食べ物の原料も自分では作れない。靴も作れない、ガスも作れない、電気も作れない、車も作れないし、挙げればきりがないほどの事が当たり前ではありません。
私たちが生きている事、生まれてきた奇跡も当たり前ではありません。ですが、生まれてから生まれてきたことを当たり前と私は思って生きてきました。
普段、身近なものからそうでないものでも、当たり前って存在しないんだなって思います。
当たり前ではないことに感謝をすることが少ないのか。それは気が付いていないからなのか。
身近なことでは私は親が親という存在として当たり前として他の人たちと接するときとは違う態度で挑んでいました。
いろいろ人間関係で苦労もしたし、試行錯誤して、私の中では少しずつより良いコミュニケーションを心がけていました。でも、親に対しては「親」というレッテルを張ることで、本来、当たり前ではないことを当たり前にしてもらっていました。
私は父との関係に頭を悩ませていた時に、ふと、「親も人間じゃないか」「親としてではなく人間として父を見てみよう」と思い立ちました。
するとどんどんと感謝とか尊敬とか出てくるんです。
もちろん、人間として合わない部分や苦手な部分はあります。けれど、以前よりかは少しずつ父を親としてではなく、人間として関わってみようとしました。
今は経過途中でうまくいっているかはわからないけれども、親を変えようと思っていた私は考えを改め、私の考えを変え行動しようと思ったのです。
そうすることで、父ではなく「人」として接するので、期待感はありません。嫌な時は離れて、必要な時は接する。普通のことです。
だから、明らかに避けるという事もしないし、かといって、友人のように親しいわけでもない。でも、なんとなく会話したり挨拶をしたり、出来るようになっていきました。
私は人を変えられないと考えているので、自分を変えるほかありません。
そうやって当たり前という親という存在を、有難い親の存在として受け止めるように少しずつ前進しています。
むかつくこともご愛敬、この先、親しく出来たらいいなぁ。と思います。
別の話になりますが、最近も不協和をもたらすことを私がしていました。私の中できっと当たり前になっていたのだと思います。
元来、倫理的には当たり前にするべき事案でない事を当たり前にしていました。それに気が付く過程でも色々と私の中で内省しています。
私は運がいい事にそれを外部からご気付きを頂けたのです。
気付きはあくまできっかけでしかありません。それを事象によりどのように変化、是正、改善していく行動が必要です。
私はそう行動したいと思いました。
人から気付きを頂けることは当たり前の事ではありません。それも至極まっとうな内容であればなおさら有難い事です。
これからも私は失敗はします。でも、人に言われる前に気が付けるようアンテナを張り、行動を変えていきます。
これで解決ではなく、これからが始まりです。
気が付かせてくれた方々に感謝と、相談や助言を頂いた方々には心より謝意を申し上げます。
中国古典にも
易経
「安きに危うきを忘れず」・・・安寧の時こそ危険を忘れない事。
春秋左氏伝
「易きに居りて危うきを思う」・・・平穏な時にこそ、危機に対処する心構えを持つこと。
という言葉があります。
千年を超えて語り継がれ、私はそれを知っていたのに行動できぬとはわが身をもって、恥を知りました。
私のような失敗をしないよう誰かの何か踏み台になって頂ければと思いながら、恥ずかしながら書き止めさせてもらいます。
拝読ありがとうございました。