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#196 私見・偏見・脱線に溢れた雑文。ベーシックインカムを語る前に必要だと(勝手)に感じていること。

 例えば、コミュニケーションが苦手な人は、社会のあらゆる場所で、能力を発揮する機会を奪われている。社会が「コミュ力」が高いことを良しとしてきたからだ。

 わたしの偏見を多分に含んだ人間観察の結果では、コミュ強の中には他者への配慮に欠け、マイクロアグレッション(無意識の差別)を撒き散らし、性的にだらしなかったり、支配的な態度で周囲のメンタルヘルスを低下させる人が(相対的に)多いと感じる。コミュ力が高いからといって、メリットばかりというわけではないのだ。

 しかし、現代社会では、そうではない人達が「コミュ力が不足している」という風に扱われる。まるで、訓練か治療が必要とでも言うように。そうしたことは、社会・文化的な差別である。

 ルッキズムというのもまた、文化的な差別である。いや、美形であるということは何も悪くない。それどころか、才能な訳だから、美形と呼ばれる姿形に生まれたことを嬉しく思っていい。ただし、美醜は時代や地域により異なる。もしあなたが優れた容姿を持っていたら、それが評価される土地と時代に生まれ落ちた幸運に対する謙虚さが必要で、それを欠くと差別的な振る舞いをしてしまう可能性があるため注意されたい。(知能や運動神経や歌唱力に優れているなど、見つかりやすい・評価されやすい他の才能についても同じである)

 才能を賞賛する一方で生まれるのは、やはり「そうではない人達」である。現代では需要の無い才能を持つ人や、とりたてて何も得意なことがない人、あるいは事故や病気で障害がある人、生育環境など本人以外の要因からハンディキャップを負った人。そうした、多くの「その他大勢」に劣等感を植え付け、それによる抑圧を受けさせる。(これは、先に挙げた需要のある才能を持つ人々にもある。何人も強度の差こそあれ、コンプレックスからは逃れられない)

 とある村に原子力発電所があるとする。そこは国や電力会社の金で手厚く整備されており、住民は皆その恩恵に満足しているとしよう。しかし、そこにも差別はある。誰も差別を実感していないとしても、その構造が差別的だからだ。自然や故郷や安全を金に換えさせる、というやり取りそのものが、そうなのだ。(念の為、そうした地域に住む人を差別するという話ではないことに注意してほしい)

 さらにスケールの大きな話をしよう。わたし達の暮らしを取り巻くあらゆる製品が、グローバル・サウス(資源豊富な途上国、南半球の国が多いことからそう呼ばれる)からの収奪で成り立っている。なぜグアテマラやコロンビアは、サウジアラビアやカタールのようなお金持ち国家ではないのか。世界中が彼らのコーヒー豆を求めているのに。

 わたし達の生活に欠かせないリチウムイオンバッテリーの原料であるリチウムは、ボリビアやチリ、アルゼンチンといった国々で産出される。自動車のEV化に代表される「エネルギーの電化」の主役なのだが、彼等も同じく、だからといって富裕国になるわけではない。むしろ、その採掘を行うために自然環境を破壊することで、将来を損じているとも言える。

 もっと大きな話をしてみよう。鉱物や水、森や生物といったものは「資源」なのだろうか。なぜ、わたし達はそれらとわたし達を切り離して考えるのだろうか。わたし達が「サピエンス(賢い、という意味)」だからだろうか。

 ところで、あなたはあなただろうか?無数の常在菌と共に暮らしており、生存に不可分な関係であることを承知していても、わたし達の自我はそれを外部化して別個のものと考えようとする。しかし、菌たちにとって、人間の体は世界そのものであり、共有財産である。

 わたし達と地球との関係も、同じだ。全てが地球の一部であることを認められれば、あらゆる差別的な関係性は次第に収束していくだろう。

 皆が「一体で不可分なものを、なぜ傷つけることができるのか?」そう考え至ることができれば、ベーシックインカム(BI)の実現も可能だろう。我ながらビッグスケールで笑ってしまうが、そこまで本気で世界の公平性について考えないと、BIの効用である「幸福の増大」が絵に描いた餅になる。いきなりBIの話をしたが、まあ許してほしい。

 あらゆる差別を解体して、「全ての人間が公平に地球の一部だ」と認めるレベルのでっかい思想を持つくらいの、それくらいの道徳観を持たなければ実現できないと思うからだ。つまりBIは、実現可能性の問題以前に、アイデアを支える思想が不足しているのである。と、いってみたかったのだ。雑文おわり。

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