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#083 お金があるべき場所にない問題

 コロナ渦の緊急事態宣言中、現場に出て働かねばならない、エッセンシャルワーカーが話題になった。この人達がいなければ、世の中が機能しなくなる。社会の土台を誰が支えているのか、ということが浮き彫りになったのだ。

 それならば、エッセンシャルワーカーの給料は、相応に高くなければおかしいのではないか。同じ理屈で、農家のような食品生産者は、それを右から左へ売りさばく者より、お金持ちでなければおかしいのではないだろうか。

 あえての問いなので、大人のつっこみはいらない。子供のように無垢な気持ちで、考え直してみたいのだ。

 労働基準法を守れない会社があるとしたら、その会社は潰れていなければならないのではないか。空き家やフードロスが問題になるのに、なぜホームレスがいるのか。お金がないと衣食住が成り立たない仕組みなのに、生活保護を断るのは生存権の侵害ではないか。

 我が家のポストは、ポスティングのチラシで埋め尽くされている。集合ポストの横には、ポスティングのチラシを捨てるための箱が置かれていて、そこには大量のチラシが入っている。そして、そうと分かっていても、ポストにチラシを入れる仕事の人がいる。

 私は思った。このチラシを配達している人は、もはやチラシを配達することなく、給料だけをもらってもいいのではないか。ごみを作って、捨てられるために配達する仕事なら、その仕事がもたらす社会への影響度はマイナスだろう。だから、その人は給料だけをもらって何もしない方が、世の中のためになるというわけだ。もちろん、ポスティングを例に挙げただけで、特定の仕事を揶揄するつもりはい。

 IT革命以降、社会がどれだけ効率化しても、なぜだかみんな労働(それも、8時間こき使われることは変わっていない)をしなければ暮らしていけない仕組みになっているので、こうした謎の仕事ですら、存在しなければならないということだ。

 ところで、ユニクロの柳井さんは、5兆円近い個人資産があるそうだ。実力で稼いだといっても、それほどの大金を個人が所有することは許されるのだろうか?その商売を支えた店員さん達は、ちゃんと金持ちになっているだろうか。

 戦後最長と言われたアベノミクスの好景気で生まれたお金は、いったいどこにあるのだろうか。労働者は搾取される一方で、さらには増税でセカンドレイプを食らう、そんなことがいつまで続くのだろうか。

 つまるところ、お金の所在が偏っていて、あるべき場所にない、ということかもしれない。

 だから、我が国は決して貧しくない。富める者が、さらに富を増やし続けていくのだから。我々庶民は、そのおこぼれに預かり生きていく運命なのだ。

 そういうことを考えるから、私は死にたくなるのだろうか。自分の手の届く範囲のことだけを考えて、見て見ぬふりを決め込む方が幸せなのか。いや、そうじゃないだろう。世間知らずだとか、経済音痴だとか、そう思われたとしても、私は言う。

日本死ね。

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