アンデス音楽のオーケストラ
チャランゴの楽団とは別に、大学のオーケストラのサークルに入ることになった。
クラシックではなくて、アンデスのフォルクローレやクリオーリョ音楽というジャンルのオケだった。
楽器は、マンドリン、チャランゴ、ケーナ、ギター、などなど。
私はチャランゴで入るつもりだったのに指揮者が
「チャランゴは一人いれば充分だから、マンドリンやらない?」と
楽器変更を命じてきて、でも私、……
マンドリンなんて触ったことないし・・・。
指揮者は、「教えるから大丈夫」と言う。
でも、楽器を買わなきゃならないでしょ?高いでしょ?
そして子どもの頃にピアノを習っていたことを思い出し、
ピアノで参加させてもらうことになった。
4歳から高校一年生の時まで習っていたけれど、
中学生になってもバイエルやブルグミュラーをやっていたというほど私のピアノはレベルが低いのだけれど、でも!
唯一、ショパンの「別れの曲」の冒頭部分だけは得意だった。
さらっと弾いたら、ピアノが得意な人だと誤解してもらえた。
すばらしい!
まず最初は、がっつりピアノ協奏曲の楽譜を頂いた。
ある程度弾けるようになったけれど、下手っぴでごめんなさい。
次は、ホルンの楽譜を頂いた。
キーボードでホルンの音に設定して弾いてね、と。
かなり音が少なくなってきた。これなら上手に弾きこなせるぞ!
そして、ホルンの次はコントラバスの楽譜を頂いた。
ヘ音記号だけの楽譜!新鮮!
その後は、音符の無い楽譜をもらった。
なんですか、これは!
音符ではなく「×」が書いてある!
どんどん減っていった音符が、ついに消えてしまった。
やばい、この調子だとクビになるぞ、……
どうしよう?どうしようもない。
と絶望していたら、チャフチャフだった。
チャフチャフとは羊の爪を束ねて作った楽器。
いかにもアンデスらしい!
チャフチャフを担当した時だけは、「ブラボー」とほめてもらえた。
Danza Aimaraという曲だった。私の十八番となりますね。
その後は、チニスコと呼ばれるトライアングルなど音の少ない楽器をあてがわれていった。ドもレもミもソも無く、あるのは「×」。
これでいいのだろうか。
私の実力は、形無し、いや音階なし、・・・。
虚しい気持ちになる日もあった。
だけど、同じ空間で一緒に一つの曲を演奏することで、
アンデス特有のリズムと「気」が体に入っていく。
この「気」とか「息づかい」などは、
どんな楽器でもいいから現地で兎に角、一緒に、
同じ空間に存在しなければ学べないものだった。
日本には無いのよ。まじで。
もちろん日本人のフォルクローレ演奏家の方々のなかにも上手な人は何人かいらっしゃるけれど、現地に行かないと聞こえない音や気迫、世界観、音の温度や、音の体温や体重といったものは、現地へ行って、現地の人たちの中に入って、仲間になって一緒に同じ空間で、呼吸を合わせたり、ズレを感じたりしないと、分かり得ない。
当時の私は絶対に日本では経験できないことを経験していた。
だけど、私の楽譜には音符が無かった。
ほぼほぼ、ただ居るだけのマスコットな私だったかもしれない。
客寄せパンダな私。(でも、パンダって可愛いよねぇ~)
ちなみに、クラッシックのオーケストラでトライアングルを弾いている人はマルチな打楽器奏者で木琴からタンバリンもカスタネットもなんでもできる人なのだとか。音大に打楽器科というのがあるらしい。
打楽器は、かなり重役。
当時はそんなこと知らなかったので、私にあてがわれた音符の無い楽譜は脇役で見習いの人の仕事だと思っていた。でも、実はとても重要な音だったんだ。
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