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ルパン三世 峰不二子という女と嘘Ⅰ

小池ルパンは原作や1stをモデルに作られている。「峰不二子という女」「峰不二子の嘘」。二作品も不二子を主役にした物語が作られ、そこにはパンチ先生のルパンとは違った不二子への愛がある。


小池作品が描くルパンは、不二子にほとんど触れない。
たまにボディタッチはあるけれど、他の男たちとのどうでもいいような濃厚なシーンで淫乱ぶりを描いたにしては、プラトニックとも言えるほどラブシーンがなかった。

多分不二子の性的に奔放な性格を強調する代わりに、ルパンにはろくに触れもせず、ルパンとの関係の本気度を際立たせたのだろうと思う。不二子の部屋で二人っきりのシーンはあれど、二人の気持ちの交わり、確認が描かれることはない。


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パンチ先生が描くルパンの不二子への愛は、その献身によって「女を救いたい」というのがあって、救われるべき女の方にも悲哀がある。不二子は「そういう風にしか生きられないんだろうな」と思わせる何かがあって、だから男を騙しても許されるし、許されない場合は手痛い罰を受ける。

多分「そういう生き方しか出来ない女」に成った何かがあって、美貌と大胆さですべてを隠しているけれども、そのためにすべてを明かすことが出来ず、人を信用することも出来ず、ミステリアスだとか謎の女とかになるのかもしれない。

そしてルパンは不二子の大胆さ、奔放さの裏に隠れたその孤独を見抜いていて、その生き方を愛している。それはパンチ先生の作品では深く描かれることはなかったけども、小池ルパンはその部分をよく捉えていたなと思う。

それはルパン自身もそうだからなのか、それで共感するのかわからないけども。


この二人の愛が尊いなと思うのは「峰不二子の嘘」のラストで、戦い終わった不二子に「全く。一人で無茶しやがって」とルパンが労いの声をかける時、いつも無茶ばかりしているルパン自身にもかけられる言葉だと思うからだ。

相手にかける言葉が自分への言葉にもなっているのは、男と女の心が一心同体で、ああ、だからこの二人は分かち難く結ばれていて、言葉一つに愛が溢れていると思うのだ。

その後のシーンも台詞回しにかなり難があったけれども、星空の下二人寄り添うシーンが美しく感動的なのは、ルパンが「無茶しやがって」と不二子を労わる言葉から始まっているからだと思う。



「血煙の石川五ェ門」と違って、ルパンは不二子の勝負を観戦していないし、次元も連れていない。不二子が決闘をしている時、二人は敵地に乗り込んでいた。

不二子の場合、敵との一対一の勝負が相手とのランデブー、アバンチュールのような愛でもあり、その場に現れてお供するような野暮なことはルパンはしない。

それはルパンが女の敵と戦う時を想像してみればわかるように、生死をかけた異性との決闘はセックスのメタにもなっている。

ルパンが敵の女を愛さずにいられないように、不二子もまた自分を求め我が物にしようとする男を愛し殺している。


どうも原作から小池ルパンの流れを汲むと、ルパンはテレビアニメのような明るく健康的なキャラではなく、むしろその正反対で、蛇のように粘着質で執念深い男の姿しか想像できない。

実際原作も小池ルパンのビジュアルも爽やかさ皆無で、どちらかというと爬虫類的な、歪みのある顔をしている。大きくて細長い吸盤のような指先はまるで蛙のよう。

実際不二子との関係もそうだろうなと思わせる。ドSで不二子がNOと言っても許さない強引さと執着がある。きっとルパンは次元と暮らし不二子を自由にさせている代わりに、不二子の部屋や私物に盗聴器や発信機を仕掛けていて、そういう形で不二子を守っている、愛しているんだろうなと想像してしまう。

そして不二子もそんなルパンにやれやれ、と思いつつ、ルパンの愛を身にまとい、だからこそ大胆に行動が出来、常に自信にあふれ、いついかなる時もルパンに助けを求めることが出来るんだろうなと。

不二子の元にはいつも最新のお宝の情報がやって来るのだから一石二鳥というもの。神出鬼没とは、裏を返せばストーカーと変わらない。言葉を変えれば、ルパンは不二子を泳がせているんだろうなとも思う。



「峰不二子の嘘」は少年との逃避行を描いた「グロリア」という洋画の傑作がベースにあるようだけども、キービジュアルなどを見ていると、監督は「銀河鉄道999」も意識しているようにも見える。

不二子はまるでメーテルのように細身で長身で、髪の毛の色もよく似てる。宇宙服のような戦闘服を着てメーテルのようなロングブーツ。少年は鉄郎のような髪型で垢抜けない。カラーリングも60年代が舞台の割には近未来指向で、レトロだけどサイケな監督の好みが反映されているのかなと思う。


小池ルパンの不二子が「もはや不二子ではない」と言われるのは、少女漫画のようだったりメーテルだったり、他のイメージを被せているのもあると思う。それはルパンが未来少年コナンになったり、アムロ・レイになるようなもの・・・。

等身がおかしかったり、デッサン狂いがプロにしては気になるけども、小池ルパンの作品は本当に映像が美しくイメージ豊か。それは色彩や線の濃度、重さかもしれない。太い眉と濃いまつげを持つルパンはシリーズ一のイケメン、男臭さで、発色も新鮮。同じアニメでもここまで違うのかと目を剥く。




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