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ルパン三世 峰不二子という女と嘘Ⅱ

不二子に不幸の面影、と書くと貪欲に生を謳歌している不二子に相応しくないかもしれない。でも原作でも不二子は父と兄を殺され(しかもルパンに!)、不二子自身も製薬会社勤務の父親の実験台にされた過去を持つ。

「峰不二子という女」は、原作に少しだけ描かれた不二子の生い立ちをベースに作られている。場当たり的な設定を持ち込むことが多い原作でも、この生い立ちはとても説得力がある。

不二子の聡明さと大胆さは父親譲りかなと思うし、父親によって形成された男性不信や家族愛からの逃避、母親の不在。不二子の生い立ちとしてそろそろ公式認定してもいいと思うほど、不二子らしい過去だと思う。


「峰不二子という女」では、原作から設定を借りながらこれらの事情をすべて幻にしてしまったけど、わりといい線を突いていた気がする。実は父親だけでなく母親にも利用されていたとか、原作にはなかった面をうまく広げている。

父親がマッドサイエンティストだったという不二子の生い立ちは、これで映画が一本作れるほど美味しい設定。虐待家庭に育った子供はサバイバーと言われるのだけど、どんな修羅場でも生き残って見せるという不二子の不屈の闘志は、不二子が生粋のサバイバーとしたら不思議ではないし、楽に生きて行けるほどの美貌や才能がありながら、あえて危険な世界に身を置く不二子の性にも矛盾がない。


パンチ先生が不二子の生い立ちにこんなぶっ飛んだ設定を作ったのは、銭形の元カノと同じくらいぶっ飛んでいて、まさにルパンの獲物のために用意された女だよねと思う。

ルパンが不二子を狙うというのは、本人の欲望だけでなく「不二子を救う」という大義名分もあって、小池ルパンにはそのことがよく描かれている。ルパンが不二子を求める、愛することにルパンの男としての、ヒーローとしての矜持を持たせている。

救われるべき女性には、救われるべき理由がなければならないから、不二子の父親がマッドサイエンティストというのは、父親の愛と残酷さによって苦しめられる娘の心の傷にもなっていて、ルパンに救われることが、不二子の家族の呪縛からの解放、女としての自立や自信の回復にもなっている。




「峰不二子の嘘」のラスト、広大な星空と赤い砂漠の土の上で、ルパンの肩にもたれて眠りに入る不二子は、ルパンが隣だからこそ安堵の眠りに就けるだけでなく、自分を愛した者を殺した罪や汚れも、ルパンの胸の上で浄化される。

ルパンが胸を貸したのは、不二子が犯した罪と汚れを自らの胸で引き受けるためでもあって、不二子は涙をにじませたかもしれなく、最後不二子がルパンを置いて去るのも、不二子の照れ隠しのように思える。

罪を犯した女をその胸で引き受けるルパンの色気がたまらない。小池ルパンは不二子にデレデレしないけれど、包容力で愛を表現していて、それは原作にも1stにもない愛の形。

ルパンらしくもあり、「強い女」に対する今時の男性の愛の形でもあるのかなと思う。


ヒーロー・ルパンの持っている最大の魅力でもある包容力は、恋愛や女性に対して存分に発揮されるもの。それを不二子への愛の表現として描いているのは、昭和の男のルパンがナルシスティックに、エゴイスティックに不二子への愛を表現していたのとは違って新しい。

小池作品のルパンは、「強い女」が求めているものをよくわかっていて、憎らしいほどイケメン(笑)



返す返すもこんなに素晴らしいシーンをラストに用意しておきながら、最後の台詞回しに愛がなさすぎて泣けてくる。いかに不二子が悪女かなんてここで語る必要なんかなかった。だって敵を欺いて殺しているだけで十分悪女なのだから。

不二子がいかに悪女か徹底して描けば描くほど、どんどん不二子から愛がなくなって行くのだから、それは女性としては未熟で愚かであることをさらけ出しているだけで、ただ浅はかで価値のない女になる。


戦う必要のない相手との戦いを、不二子なりの少年への愛と取るべきなのか。私は少年に真意を見透かされた不二子の、不二子なりの自己弁護にしか見えなかったのだけど。


それに悪女にも時代があって、あの不二子が果たして今の時代にカッコいいのか疑問。子供を守るためなら、ルパンにさえ銃を撃つのを厭わないぐらいの女が今の時代の悪女のような気がする。それはシングルマザーが珍しくない現代の女のリアルでもあるから。


そう考えると、愛した者を殺されたためにルパンに銃を放った不二子が描かれている「ルパンは今も燃えているか」がリメイクの割に新鮮なのも、パンチ先生の慧眼なのかなと思う。

シンママがリアルな時代で、不二子の話に「グロリア」をテーマに持って来たのは、タイムリーだっただけに惜しい。


今回ルパンがノージャケだったりノーネクタイだったり珍しく仕事モードでないのは、不二子がリラックスできる場としてのルパン、プライベートのルパンという意味合いが大きいのかもしれない。

このシリーズは仲間たちがルパンの一味になる前の関係性や距離感を描いていて、時系列的にも関係性の深まりにしても、「殺し屋はブルースを歌う」に近いポジション。

もし今回不二子の嘘ではなく愛を描いていたら、それはルパンの包容力と響き合い、「殺し屋はブルースを歌う」に匹敵する傑作を描くチャンスだったと思う。

もしかしたら男女としてではなく、このシリーズ全体のテーマに合わせて、あえてルパンと不二子の「友情」の部分を描いたのかもしれないけども。


不二子に「意気地なし!」と言われる様子が目に浮かぶ(笑)

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