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私の乳がん闘病体験記 その1~見つかる~

当時35歳だった私の、壮絶がん闘病体験記を連続して書き綴りたいと思います
身近な人ががんにかかったことがない人には知らないような、ありのままの「がんの闘病」というものをお伝えします
正直私の経験からすると、みんなありのままのがんの闘病というものを隠してる。我慢してる。情報として出ていない
実際の闘病ってこんな感じなんだよってことを、お伝えし、かつ、読んでくださった皆さんに定期的に検診を受けてほしいという気持ちを込めて

今は3人に一人ががんにかかる時代になりました
「でもまさか私がなるわけないよね~まだ若いし」
と誰もが思ってますよね
まさに、交通事故のように。

しかし…そんなことはないのです…。

時は2015年9月18日
私は晴れて結婚することになり、新居への引っ越しも10月11日と決まり、実家も一か月。入籍は11月1日と決まり、双方の両親との顔合わせ、旦那のお兄様夫妻との顔合わせの日取りも決まり、当時の手帳を見てもわかる通り、とても忙しかった

でも本当に大好きな彼と巡り合い、結婚願望が強くてずっと結婚したかった私がようやく掴んだ結婚でした
彼とはお互い素で接しているのにケンカもしたことない、趣味も同じ、話していたら時間だけがどんどん過ぎていってファミレスのドリンクバーで8時間話し込んで「女子会かよ!」と笑いあうような相手。
幸せ過ぎて怖いと週末彼と笑いながら、歩く足元も少し浮いていたんじゃないかと思います

それなのに何故私が結婚前の多忙な中、がん検診を受けようと思ったかというと、私の実家の自治体はがん検診が無料だったのですが、転居先の旦那の実家に近い新居の自治体ではがん検診が少額ではあるものの有料だったからです
「だったら無料のうちに一回受けておこう」
という私のケチゴコロが、結果として私の命を救うことになりました

検査当日

胃がん検診後の乳がん検診。エコーでの検診でした
まず胸に暖かいゼリーをつけられ、電動シェーバーのような頭がついた機械を胸の上をゼリーで滑らせながら胸の中を検査されます
私も何度か乳がん検診経験があったので、その時少し異変を感じていました
「あれ?なんか右胸ばかり丁寧にやりすぎじゃない?」と
しかも、たまにピコッと音がするのですが、その音が右胸だけ何度も鳴るのです。
多分あれは検診している技師さんが、あやしいものを見つけた場合に写真を撮っているのではないかと勝手に推測しています。
とにかく、異様に右胸の診察が長かった。左胸は今までの経験上と同じくらいの長さだったのに。
なんだろう…怖いな、と思いつつも、引っ越し準備で忙しかった私はすぐその不安を忘れ、日々忙殺されていきました
幸せな日々でした。単純に、幸せに浸りながら、楽しく忙しくしていました。
「多分怪しいものは全部撮影して医師に診てもらう、しらみ潰しみたいなシステムなんだろう」と勝手に解釈して

一週間後の9月24日

滅多に鳴らない家の電話が鳴りました。
「〇〇検診所の〇〇と申しますが、たゆウサさんはいらっしゃいますか…」

そう言われた瞬間、ババッと頭の中に先週の乳がん検診の右側がやたら検査時間が長くて不安だったことがよみがえり、「乳がん検診ですか?もしかして右?」と相手の言葉を遮って言ってしまいました
「………はい。でもまだ確定診断ではなくて、怪しいものが見つかったので、ご家族と一緒に一度当所へ来て頂きたく…」
そのような言葉が続いたと思います。
でも私は、やっぱり右胸か!!と思った瞬間に完全に頭が真っ白になって、その場に座り込んでしまいました
この先の不安でいっぱいで
「なんで今なの?」という気持ちでいっぱいで
…私って、今人生で一番幸せな時間じゃないの?って…

とにかく不安は早く払拭したいと思い、私は次の日に行きますと一番早い時間を予約し、電話を切った後は、すぐ母に連絡を入れ、事情を話して一緒に来てもらうことに。その後旦那に連絡し、だらだらと不安を吐露していた
旦那は仕事中だったので最初はメールで事情を説明したのですが、旦那も頭が混乱していたようで返答が意味不明で、これは電話で説明しないとダメだと思って無理に電話に出てもらったのです

電話での話では、直径10ミリほどの謎物体(たゆウサ命名)が私の右胸、乳首から上に2cm、深さ2cmのところにある
乳腺症の可能性もあり、良性の可能性もあり、現時点では何であるかはわからない
しかし精密検査が必要。
とにかく来所してほしいとのことでした

夜、胸をおかしくなるくらい揉んで固いものがないか探しました
全くそんなものはなかった
いつもの柔らかい胸で、どこにもしこりも、固まりもない
少しだけネットで調べたら「乳がんの検査結果の7~8割が乳腺症。疑わしいものは全て検査する」という風にあった
きっと私もその8割に違いない。そう信じて寝ました

翌9月25日午前、検査を受けた診療所へ
そこへは何度も行ったことがあるのですが、入ったことがないエリアのお部屋へ案内されました。
そこには白い服を着た壮年のお医者さんがいました
そして、検査で見つかった謎物体の写真を見せられました

上記写真は、その画像をイメージして私が作成したものです。実際は黒い丸がもう少し小さかったかも
でも、こんなモノが私の胸の中にあるの?
昨日散々触ったけど何もなかったけど…全く実感が持てない
でも、その写真を突きつけられて、私も母も頭が真っ白になりました
先生曰く「多分乳腺症かもしれないけれど、この白い正常な部分と、黒い部分の境目がはっきりしている点が悪性の疑いを感じるので精密検査を大きい病院でしてほしい」とのこと
「疑わしいものがある以上は、全部検査してはっきりすっきりさせた方がいいでしょう?」とのお優しい言葉もあり
念のため、ということで新居と実家の間にある某大学付属病院を紹介して頂きました
そして私と母は、その紹介状を手に、その足ですぐ病院へ訪問。車の中は重い沈黙で、母と私、それぞれが不安と重過ぎる何かの感情でいっぱいのまま車だけは急ぎます
朝イチで検査所に行った甲斐があり、病院でギリギリで午後の診察に入れて頂くことができました
私は、待合室で待つ間、当時ハマっていた3DSのドラクエ9をプレイしていたのですが、おかしいくらい全く頭にゲームの内容も、戦闘の内容すら入らず、ただただ頭が茫然として現実感がない
これじゃあプレイしていても気も紛れず無駄だ、と、途中で電源をぶち切り、母と二人でただぼーっと待ちました

診察に呼ばれ、若い女医さんと会いました
大病院の先生からしたら”がんの疑いあり”、なんて慣れているのでしょう。
写真をご覧になり「確かに検査した方がよさそうですね」と、さらさらと検査項目を入力され、一番最短で受けられる細胞診の予約を取りました
とにかくあの時の私は「早く乳腺症だと判明してこの不安から脱したい」一心でした。
ネットで調べた「乳がんの検査結果の7~8割が乳腺症。疑わしいものは全て検査する」という風にあったので、その情報にすがっていました
細胞診とは、実際に太めの針を患部に入れて、細胞を直接採取・検査することです
それですべてが判明する
この、人生で初めて感じる巨大な不安から解放される
それまでは私は何も考えないでおこう、と努力し、不安と戦いながらひっそりと引っ越しの準備を進めていました。
細胞診は10月1日の14時。


もし心に響いたならば……投げ銭のひとつやふたつやみっつやよっつ!!よろしくお願い致す!(笑)