【独り言】2023.7.30

友人の就職先が決まったとの報告を受けた。
その友人は現実的で比較的計画的で私とは対照的な性格であり、友人の視点から学ぶことも多い。

報告を受けたとき、「良かった!沢山勉強してたもんね!いやあ良かった良かった」と声をかけた。

しかし、本心を言うと1パーセントくらいは喜んでいなかった自分がいた。
嫌々勉強している姿を目にしていたし、それで受かるとは正直思ってなかった。

最近『王と鳥』を観た。人間は断片的な部分から自分の考える「その人」の像を創り上げて忌み嫌い、その結果殺し合いにまで繋がる。
私は勝手に友人の像を創り上げて、そんな友人が受かるはずないと想像していたのだ。加えて言うなら、そんな創り上げた「友人」よりも自分の方が優れていると感じていたのだ。(同じ就職先を目指していたわけでもなく、性格も真反対で求める幸せが異なると感じていた友人であったにも関わらず)

結局、自分の方が「優れている」と感じていたのに、世間一般的に良いと思われる就職先に就いたことが嫌だったのだ。「優れている」根拠など本当は無いのに、友人の断片的な姿から勝手に想像し、なんでこの人がと思ってしまったのだ。

就活を通して、自分は自分、自分の幸せを追求するために働こうと思っていたのに、結局「社会的な地位の高さ」や「優劣」を気にする自分がいる。

あーどうしてだ。他者の目から少しは自由になれたと思ったのに。結局気にしてしまうのか自分は。まじでもう一旦レールから出て、飛び出しすぎた釘になれば気にならないのか。

こう考えながら、自分はなんて愚かなのかと思う。でも結局こうやって思考を巡らせる自分が好きで、どうしても完全には嫌いになれないのだ。

この前『君たちはどう生きるか』を観て、今は原作の方を読んでいる。結構面白い。読み進めて助言を得ようと思う。




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