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『若きウェルテルの悩み』・『ファウスト』について

1962年株式会社新潮社発行の
『若きウェルテルの悩み』(Die Leiden des jungen Werthers)
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)


前書きにこう記されている。

哀れなウェルテルの身の上について探せるだけのものは
熱心に探し集め、ここにこうしてお目にかけてみる。
諸君はウェルテルの精神と心根とに感嘆と愛情を惜しまれぬであろう。
ウェルテルの運命には、涙をこばまれぬであろう。
 また、ちょうどウェルテルと同じように
胸に悶えを持つやさしい心の人がおられるならば、
ウェルテルの悩みを顧みて自らを慰め、そうしてこの小さな書物を
心の友とされるがよい、もし運命のめぐり合わせや、
あるいは自分の落ち度から、親しい友を見つけられずにいるのなら。

ここで言う、”ウェルテルの精神と心根”が素晴らしいので、
少しではあるがここに書き写したい。

むろんぼくにしたって
誰にもわからないようなこと一切については何も言いたくはないさ。
つまり人間の運命とは、
自分の分に堪え、自分の盃を飲み干すことではないか。
――― そうしてこの盃を天の神が人間の身であったときに
にがすぎると思ったのなら、ぼくが空意地を張って、うまそうな顔をしてみせるには当たるまい。
ぼくの全存在が有と無の間に打ち震え、
過去が稲妻のように未来の深い深淵の上に光を投げ、
身辺の一切が没落し、ぼくと一緒に世界が崩れて行くというおそるべき瞬間に、どうしてぼくが恥ずかしがる必要があろう。

幾らか年の行った人は、ウェルテルの若さを感じ取れるだろうし、
10代にすれば、身に覚えのある悩みを
劇的な言い回しでよくぞ表現してくれたと感じるだろう。

「わが神、わが神、なんぞわれを捨てたまいしや」と、
むなしく上にあがろうとしてもがく力の深みから歯ぎしりするのが、
自分の中へ追いつめられ、自分を見失いとめどなく墜落して行く人間の、
そんな場合の声ではあるまいか。
もろもろの天界を一枚の布のようにまいてしまう
神の子さえも免れなかった瞬間に
ぼくがおびえたって一向にかまわないじゃないか。

無数の傷が光るガラス細工のような表現で、
ウェルテルの感情の爆発を書き綴る。


『ファウスト』(Faust)
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)

戯曲、ファウストで一番有名なセリフ

ファウスト:
 あの山の麓に沼がのびていて、
 これまで拓いた土地を汚している。
 あの汚水の溜まりに はけ口を付けるというのが、
 最後の仕事で、また最高の仕事だろう。
 そうして己は幾百万の民に土地を拓いてやる。
 安全とはいえないが、働いて自由な生活の送れる土地なのだ。
 野は緑して、よく肥えて、人も家畜も、
 すぐに新開地に居心地よく、
 大胆で勤勉な民が盛り上げた
 頼もしい丘のまわりに平等に住むだろう。
 外では海が岸の縁まで荒れ狂おうが、
 中の土地は楽土となるのだ。
 潮が力ずくで土を噛み削ろうとしても、
 万人が力を協せて急いで穴をふさぐだろう。
 そうだ、
 己はこういう精神にこの身を捧げているのだ。
 それは叡智(えいち)の、最高の結論だが、
 「日々に自由と生活とを闘い取らねばならぬ者こそ、
 自由と生活とを享(う)くるに値する」
 そしてこの土地ではそんな風に、危険に取り囲まれて、
 子どもも大人も老人も、まめやかな歳月を送り迎えるのだ。
 己はそういう人の群を見たい、
 己は自由な土地の上に、自由な民と共に生きたい。
 そういう瞬間に向って、己は呼びかけたい、
 「とまれ、お前はいかにも美しい」と。
 己の地上の痕跡は、
 幾世を経ても滅びるということがないだろう
 そういう無上の幸福を想像して、
 今、己はこの最高の刹那を味わうのだ。

メフィストーフェレス:
 この男は、どんな快楽にも飽き足りず、どんな幸福にも満足せず、
 移り変るもろもろの姿を追って人生を駆け抜けた。
 そして最後の、分の悪い、中身のない瞬間を、
 哀れにも、引き留めようと願った。
 どうにも手強い相手だったが、
 時には勝てず、この通り、沙の中に倒れている。
 時計の針は止まったぞ。
 針は落ちた。片がついた。
 何、過ぎ去った、と。間抜けな言葉だ。
 なんで過ぎ去るのだ。過ぎ去ったのと何もないのとは、
 全く同じことではないか。
 一体、永遠の創造に何の意味があるというのだ。
 創られたものは、かっさらって「無」の中へ追い込むだけのことだ。
 「過ぎ去った」それはどういう意味だ。
 元からなかったのと同じことじゃないか。
 それなのに、何かが在るかのように、どうどうめぐりをしているのだ。
 それよりもおれとしては「永遠の虚無」の方が結構だね。

ファウストは信心深く、神が必ず天の国へ来ると信じていた人間。
メフィストフェレスは、ファウストを天の国に行かせなくすることができると、神と賭けをした悪魔である。
そして、ファウストは最後に上記のセリフを言い、天に召されるのだ。

このファウストの最後のセリフ以外にも、ゲーテの人間へ向ける紳士で痛烈な深い洞察力が伺える。

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