機械の仕事を人間がしちゃいけない。

*ぼくは正直、仕事をあんまりしていない方だと思うんだけど(そのぶん、身銭もないのですよ)、それなりに、仕事について考えてみることにする。きっかけは、付き合いのある会社の仕事が、ちょっとこれは、という内容だったことだ。

あんまり詳しくは書けないし書きたくもないが、お願いした仕事の内容が、それはもう、ひどいものだった。どうしてこんな仕事ができるの?と、純粋に聞きたくなるほどに。もう、怒る気も、問い詰める気も失せてしまったので、今後その会社とは仕事をしないと決めたし、仕事をもらっても、お断りさせていただこうと心に決めた。

ぼくが「ひどい」と思ったのには、理由がある。それはひとえに「お金を払っているのに」だ。これだけお金を払っているのに、それはちょっとないんじゃないかな、というもので、ちょっと向こうの立場になって考えてみたんだけど、それはきっと「お金のために」仕事をやっているからじゃないか、と考えた。

自分のことを棚に上げて、ものすごくエラそーに言うよ。「よろこんでもらおう」という気持ちがないのだと思った。それがあったら、きっとあんなふうにはならない。じゃあなぜないのか、まで考えれば、ぼくの対応が悪かったり、なんて理由も出てくるかもしれない。それでも、反面教師的に思ったのだけれど、こんなふうに仕事をしないでおこうと思ったのだ。

もちろん、お金がなければ生きていけない。だから、お金のためにも仕事をしないといけない。お金がないと会社だって潰れちゃうからね。でも、お金のためにやっている仕事は「支払ったお金」以上の仕事はしてくれないわけでしょう。

当たり前じゃないか、と言われるかもしれないけれど、何もパフォーマンスのことだけじゃないよ。ちょっとした一文とか、相手に分かりやすくするとか、工夫はいくらでもできる(自分で書いていて、耳が痛い)。もちろん、時間だって限られているので、そればっかりしているわけにはいかないんだけど。

お金のためだけに仕事をやっていると、その組織や人にも、未来はないんじゃないかなと思ったのだ。同じお金を支払うなら、やりとりしていて気持ちのいいところや、ホスピタリティのあるところを選ぶもの。飲食店で例えると分かりやすいかもしれない。

あ、機械だ!機械になっているんだ、と書いていて思った。機械は、プログラムしたそれ以上の仕事をしてくれないでしょう。でもやっぱり、仕事ってのは、人と人とのやりとりだ。そこを忘れちゃいけないよなぁと、自分のことを棚に上げつつも、反面教師的に思ったのであった。


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