表現っておすそわけ

*文章ってじつは、「読んだ」人よりも、「書いた」人のほうが、よっぽどなにかを得ていると思った。このことは、ぼくがこうして書いているから言えることでもあるし、ひとりの読み手だからこそ言えることでもある。読んでくれた方がいろんな感想をくれたり、おもいおもいにさまざまな感情を抱いたり、ときには受け取ったというふうに表現してくれる方もいるのだけど、それでもやっぱり、文章というものは「書いた」人の方が、おおきくなにかを得ていると思ったのだ。

書くということは、考えることでもある。考えたことを整理しながら、順序立てて書いていくこともあれば、書きながらうまれてくるものもある。書きたいことをそのまま書く日もあれば、「なーんにも書くことがない」からスタートして、そこから書くこともある。つまり、書く人間は、読み手になにかを与えるために書いているのではなく、書くという行為、書き終わるその瞬間に、書き終わったものをそのまま誰よりも先に、しかもおおきなひとくちを受け取っているんじゃないだろうか。

そのおすそわけとして、書いた文章が読めるようになり、読み手がおもいおもいに思う。けっしてわるい意味じゃなく、それはたぶん、おすそわけなのだ。書いた人が書くことによって受け取ったもののおすそわけを、ぼくらは読むことで受け取っている。これはなにも、書くに限った話じゃないね。話す、演じる、描く、表現はぜんぶそうかもしれない。”それ”ができあがったときに、一番の恩恵を受けているのは、完成させたその人自身なのかもしれない。


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