弱いままでもいいから、強くありたい

*毎年、誕生日には映画を観ます。その日は無理矢理にでもオフにして、どんな1年にしたいかなぁとか、どんな人になろうと、近づこうとしたいかなぁなんてことを考えながら、観たい映画を探します。観たことないのでも、観たことあるのでも。たしか25歳のときは中川龍太郎監督の『ぼくらはひかりをにぎっている』、26歳は大好きなティムバートンの『ビッグフィッシュ』だったかな。今年は、『宮本から君へ』を観ました。

2年前だったろうか、映画館で観たとき、正直めちゃくちゃキツかったんだけど、もう凄まじい映画で、ラストで嗚咽しながら泣いたんだよね。泣いたというか、涙が枯れた。ぼろぼろになるくらい泣いて、めちゃくちゃにかっこいいと思った。おれも、こんな男になりたい。でもたぶん、なれない。なれないのなら少しでも近づいてやりたい。

作中の宮本浩という人間は、もうめちゃくちゃに弱いんだよね。金もなければ甲斐性もないし、腕っぷしが強いわけでも頭がいいわけでもない。なんなら平凡以下の人間が、強くあろうとする、ただそれだけの物語だった。お世辞にもかっこいいとは言えなくて、でも、それがもう涙が枯れるくらいかっこよかった。大切な何かを守るためなら自分なんて平気で捨てれるくらい、自分を貫き通すためなら大切な何かなんて平気で背負えるくらい、弱いまま強くあろうとした男の話だった。

25歳は「ていねいに」を目標にした。26歳は「ていねいに、おだやかに」だった。ひとつひとつていねいに、できるだけじぶんの心と向き合うこと。おだやかってのは平坦な道を歩くことじゃなく、紆余曲折、上り坂や下り坂があろうと汗をかきながらもおだやかであろうとすること。27歳は、強くなりたいと思った。やさしくなりたいは人生の目標だから、27歳はそのなかでも強くなりたい。強くなけりゃ守れないものがある。強さがないと、成し遂げれないことがある。

尊敬する糸井さんが「弱いままでもいいから、強く在りたいって思うよ」って書いてた意味がようやくわかった気がする。今なら実感としてそう思う。弱いままでもいいから、強く在りたい。強さを持ちたい。自分は、自分以外の何物にもなれないんだから、なりたい自分になるしかない。27歳のおいらは「強く在りたい」を目標に、これからもこつこつやってくぞ!


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