トマトジュースと現実は甘くない

*打ち合わせと打ち合わせの合間、息継ぎをするように入った喫茶店で、トマトジュースを頼んだ。コーヒーはもうそれまでに2杯飲んでいたし、コーヒーよりもトマトジュースのほうが安かったし、ま、健康にいいだろうと頼んだのだ。数分後、腰がほぼ直角に曲がった赤いエプロンを着たおばあちゃんが、赤いトマトジュースを運んできた。テーブルに置かれたトマトジュースは思いのほかドロッとしていて、赤く濁っている。上にはレモンが添えてあり、太めのストローが刺さっている。浮いてはいない、たしかに刺さっている。

「お、ちょっとこれは、もしかするとトマトが強めのトマトジュースかもしれない」と、一瞬びびってしまう。トマトジュースは好きなんだけど、トマト感が強すぎるトマトジュースは苦手なのだ。あれはもはやジュースではなく、トマトそのものを液体と固体のあいだで食しているように思う。

おそるおそる口をつけてみると、トマトジュースは想像の60倍は濃かった。ほぼトマトだと言って差し支えない濃さだった。「トマト」の部分が太字かつ赤字で堂々と強調されており、「ジュース」の部分が「写真はイメージです」と米印で端っこの方に小さく注意書きされている程度の存在感で、ほぼトマトだった。液体トマトだ。

おしりにジュースと付いてしまうと、どうしても飲みやすいものを想像してしまう。ジュースと聞くと、だいたいのものは飲みやすくなる。「青汁」だって「青汁ジュース」と付ければ、飲みやすくした青汁を想像するだろう。「タバスコ」だって、「タバスコジュース」にしてしまえば、なんだか好んで飲む人はいそうである。ぼくは飲まないけど。

もう少し、甘くて飲みやすいのを想像していた。現実はたいていそうだ。妄想ほど甘くない。想像ほど受け入れやすくない、飲みやすくない。なんて気取ったつぶやきをしたくなるほど、あの喫茶店のトマトジュースは濃かった。いや、あれはもうトマトだった。


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