対話は「本音を明かすこと」じゃない。

*二村ヒトシさんというアダルトビデオの監督が、作家の燃え殻さんとやっている「夜のまたたび」というラジオが最近のBGMなんですが、たびたび忘れられないワードが出てくるんだよなぁ。この前も、聴きながら仕事をする手を止めて、小一時間物思いに耽ってしまった。対話についての話のなかで、二村さんが「対話ってさ、自分の都合でものを言うことじゃなくって、相手の言うことを聴いてみて、自分が変わろうとすることでしょ?」って言ってたんだよね。このひとことは、すごく心に響いたもんだった。

近年、概念なのか行為なのか、「対話ブーム」が起きているように思う。対話をすることが、企業の中だったり家庭だったり、人間関係の中で重視されるようになった。もちろんいいことだとは思うんだけど、ぼくはこうした「対話の場」として設けられた場所に顔を出したり呼ばれたりするのが、大の苦手だったんだよなぁ。

というのも、そうした対話の場において、本音を話すことを強要される機会が多かった。べつに、出会ったばかりの人に本音もくそもないし、会社の同僚や友人といえど、本音を話すかどうかはぼく自身が決めることだと思っていたし。なんだかこう書くと「本音がわるいもの」みたいに聞こえるけど、そうじゃないよ。ひどいところなんて、ファシリテーターから「みんなが勇気を出して本音を話しているのに、あなただけが話さないのはなんだかひきょうだと思いませんか?」って言われたりもした。それ、「おれが服脱いでんだから、おまえも脱げよ!」ってのと同じ論理じゃないか、と思ってたもんね。

だからこそ、この二村さんのひとことには、ものすごく共感したし、自分もそういうときあるなぁと耳が痛かった。対話は会話の延長線上として語られてりするけど、ちがうよー。本音を話すことが、打ち明けることが対話じゃない。本音を話しても相手が傷つくだけだったり、けんかになってしまうだけのケースはたくさんある。もう一度、対話の意味というか、目的をきちんと捉えなおさないといけない。「本音を明かすこと」じゃなくて、あなたとこれからもいい関係を築きたいのだから、あなたの言うことをちゃんと聴いて「じぶんが変わろうとすること」だよなぁ。


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