ぼくにしかできないこと、なんてあるっけ?

*いま思えば、「ぼくにしかできないこと」なんて、これまでの人生でやってこなかったんじゃないかな、と思います。まだ二十七歳、前の方がまだまだ長いだろうけれど、きっとこれからも「これはぼくにしかできませんよ」なんてことは、やらないんじゃないかなぁ。というより、できないんじゃないかなぁ。

特別な才能があるわけじゃないし、人よりめっぽう優れているところがあるわけじゃない。拙い取り柄といえば、たいていのことは赤点を免れるくらい。そんなぼくに、「誰にもできない、ぼくにしかできないこと」なんて、奇跡でも起きない限りはやりようがないんじゃないか。そう思ったのは、けっこう最近のことです。

昔は「ぼくにしかできないこと」をずっと探し求めていたんですよね。熊本で震災支援をしていたときなんて、ひどかった。洗濯だとか料理だとか、そういうことは誰かに任せて、ぼくの立場だからできることに没頭していた。あの頃は半ば強引に「ぼくにしかできない」と思っていたけれど、それはあくまで「決定権のある立場」だからできることで、その立場になってしまえば、誰にでもできることだったんです。だって、決めたりするのが仕事なんだから。

まいにち書いている文章でさえも、絵本やエッセイといった創作物でさえも、ぼくにしか書けない、なんてことはありません。誰かが思っているだろうことを、ぼくというフィルターを通して、ぼくが書いているだけ。似たようなことや同じようなことを、時代を遡ったりしなくても探せば見つかるだろうし。

例えば、ギターは、音楽をやっている人ならみんな弾けます。ジョンレノンも、カートコバーンも、さだまさしも、路上シンガーだって弾けます。そういう意味では、誰でもできることですよね。彼にしかできないこと、ではない。そこでどんな音符で、どんな空気で、どんなパフォーマンスで、もっと言えば「今、ここで」できるのは彼だけってくらいです。そういう気持ちで、ぼくも文章を書いているし、書いていたい。

「誰でもできることを、ぼくがやってみる」ことに、あくまでぼくの中だけでの意味があるんだと思う。誰かにしか書けない物語なんて、じつは本当はないんじゃないかなぁ。そう思うと、ちょっとラクになって取り組めるんですよね。そう思ってやり続けたことだけが、人から「オリジナルだね」なんて言われるんじゃないだろうか。


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