自分を畑として考える

*「自分を畑として考える」というメモより。
才能とか、実力とか、好きなこととか、できるできないとか、職業や夢、やりたいことなんかを考えるときに、ぼくが心がけていること。それが、畑として考える、だと思ってメモをした。

ぼくは大学を中退したので経験はしていないけれど、周りが就活をしている時期に自己分析なんてものをやって、自分に向いているものがどうこう〜なんてのをしていたり、相談を受けたときに思っていたことが口に出てしまった。きみは、自分に向いていることをやりたいのか、好きなことをやりたいのか、どっちなんだい?

「人よりここが優れているから」って理由も、なんだか腑に落ちないんだよなー。人より優れている時点で、自分よりも優れている人だって、たくさんいるはずだ。生まれてからずうっと一位なんて人はいないし、平家だって滅びる。長所は一瞬にして短所になり得るし、強み以外は弱み、みたいな考え方だってできてしまう。

とりあえず、やってみたらいいんだよなぁ。自分にも、言い聞かせるように。「この土は、大根が育つ土壌ではないので、大根を植えても無駄です」ってメガネをかけた機械が言っててもさ、実際はやってみないと分かんないわけじゃない。だって、ど根性大根なんて、そうでしょ。ど根性大根が育つかもしれないよ!なんて言いたいわけじゃなくって、育たないかもしれないし、育つかもしれないし、はたまた大根以外が育つかもしれない。何も育たなかったその畑は、もしかすると違うものがちょこっと芽を出すかもしれないし。

耕すこと、なんだよなー。耕さなきゃ、まずはじまらない。土を知って、いじって、手入れして世話をして、そこにようやくタネを蒔いて育つんだとしたら、やっぱりその一連の流れを繰り返すしかないんだよな、と思う。もしかすると、長所を育てている途中に、隣の短所の畑からひょこっと副産物が芽を出したりするのを、おもしろがりたいなあと思うわけですよ。もっとこう、自分の心を畑として見てみたいなと、わたしはわたしに思うのです。


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