「ありがとう」の居場所

*「ありがとう」の居場所について、ところどころ思ったことがあった。
ぼくは、コンビニの店員さんにできるだけ「ありがとう」と言うようにしている。むしろそれが自分の心のバロメータで、「ありがとう」と言ってなかったときには「あ」と思う。疲れてるのかな、とか、機嫌が悪かったのかな、とかね。もちろん、「ありがとう」と言いたくないような接客をされたときや、とてもじゃないが「ありがとう」が嘘になっちゃうようなときは、ぼくだって言わない。コンビニで思い出したけど、レジが機械化してから、店員さんに「ありがとう」って言いにくくなったんだよねえ。

この前、久しぶりにファストフードを食べようと思って買いに行ったとき、気付いたのだ。あれ、そういえばおれ、店員さんに「ありがとう」って言ってない。居酒屋やご飯屋さんでぼくが「ありがとう」や「ごちそうさま」を言う確率は、けっこう高いように思う。でも、ファストフード店では言ってなかったのだ。あれはきっと「つくっている人」が見えにくかったからなんだろうな。

そうだ、ぼくらは電車に乗るとき、切符を買うときに「ありがとう」と言わない。自動販売機で飲み物を買ったとき「ありがとう」と言わない。至極当たり前のことだけれど「ありがとう」というのは「人間」が見えたときに言うもんなんだな。

ただ、まあ距離感の近すぎるのもそれはそれで、というのも分かる。居酒屋でドリンクを頼んだとき、呪文のように唱えられる「ヨロコンデー!」は、ちょっと苦手だものね。その逆として、裁判とか確定申告とか、そういう業務めいたものたちが「人間らしい」ことばで書かれていたりしたら、それはちょっとびっくりするだろう。

できるだけうそのない「ありがとう」を、お客の方も言いたいものだ。だからこそ、これからは「そこに人間があるか」を、お客の方もどんどん見極めてはいけなくなるのかもしれない。「ありがとう」というのは、人と人との間を行き来するものなんだね。

そういえば、よく通ってた居酒屋のおかあちゃんが営業終わり、必ず表の看板を拭いて「ありがとう」と言ってから店を後にしていた。あれは「看板」に、どこか「人間」を、心のようなものを見ていたからなんだろうな。


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