ことば以外がものを言っている

*むかーしね、とんねるずの番組で「食わず嫌い」ってのがありましたよね。芸能人ふたりが、自分の大好物3品と、嫌いなもの1品の計4品を食べながら、相手がどれを嫌いなのかを当てるっていう。なかなか面白い遊びだったし、ただのクロストークじゃなくて、ああいう遊びを交えながら大人たちが話してるって構図がおもしろかった。ぼくも好きでよく観ては「ははーん、この人はこれが嫌いだな?」って思っては外していたんだもん。

で、その遊びをさいきん、空中戦でよくやるんだよね。知り合いとことばのうえで、好きなもの3品と嫌いなもの1品を決めてもらって、その人の食わず嫌いをあてるっていうの。その料理が実際にあるわけじゃないから、自分が思うその人の「感じ」を料理一つ一つに脳内で当てはめながら、相手のきらいなものを探していく。どこが好きなの?とか、なんで好きなの?みたいな会話を交えながらやるんだけど、これがまあ、なかなか当たんないんだよね。遊びとしてはおもしろいんだけど。

実際の食わず嫌いの的中率を調べたわけじゃないんだけど、体感、当たんないんだ。こんなに当たんないものか!?おれ、あんたのことけっこう知ってるつもりだったんだけどなぁ…なんてことがあるもんだから、どうして「当たらない」のかがおもしろくなってきて。で、それを考えていくと、ぼくたちはやっぱり、ことば以上に「ものを言っている」ことが多いんだよなぁと思ってね。

好きなものを食べたときの表情はもちろん、身体の動きとか箸の動きとかさ。きらいなものはきらいなんだから、やっぱり身体にどこか反応が出ちゃったり、もっと言えば「きらい」だと分かっていながら食べるわけなんだから、その心がなにかしら出たりとかね。そういう「ことば以外のもの」で、ぼくたちは多分に「ものを言っている」んだと改めて思ったんだよ。

ぼくはことばの仕事をしているけれど、改めて、ことばだけじゃないよなぁ。そういうことば以外の「ものを言っている」をどれだけ見つけて、思いを寄せて、考えれるか。そういうところに、ぼくたちの仕事の本髄というか、おもしろさってあるんだよなぁ。ことばだけやってちゃ、ことばだけの頭でっかちマンだ。ことば以上にものを言っているところを、どうやってことばにするか、なんだよなぁ。


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