ひとりかんがえ

*「ひとりごと」という言葉はある。ご存知の通り、ひとりでなにかぶつぶつとつぶやいたりすることだ。ぼくはそこまでひとりごとは多い方じゃないと思う。
「ひとり遊び」という言葉もある。ひとりで遊べるあそび、というものだ。こいつは、ぼくはけっこう得意だったりする。看板や広告の文字をフォントや大きさに合わせた声と読み方で読んでみたり、車のナンバーを四則演算をつかって「10」にしてみたりなど、気がついたらけっこうひとり遊びをしている。ちょっと前までハマっていたのは、前を歩いている人の「足音」の擬音語をつけるゲームだった。

じゃあ「ひとりかんがえ」という言葉は、どうだろう?ま、なさそうか。なさそうだけど、じっさいにやっているよね。ぼくは特に「ひとり」の時間が圧倒的に多いし、なにかを考えるときにはまず「ひとり」で考えるもんだから、ひとりかんがえは根っこの時間だと言える。それに、ひとりで考えるだけで、べつに証明したい相手がいるわけでもなし、学者でも研究者でもないから富や名誉がもらえるわけでもなし、ただひとりで考えているだけである。でも考え始めるとおもしろくなってしまって、ついつい時間を使ってしまう。考えるという行為が、無料でよかったもんだ。

思えばぼくは、けっこうな時間を「ひとり」に使っている。仕事もほぼ「ひとり」だし、あまり誰かと出かけることも少ない。飲みに行くのはきまって「ひとり」だ。誰かと行くこともあるけれど、ほんとうに仲のいい人か、仲良くなりたい人しか誘わないし、お誘いに応えない。ひとりが好きと言われればそうだろうけれど、ひとりが楽だし、楽しいんだよな。ひとりの時間になにかを考えたり、ぼーっとしたり、だらだらしたり、そんなことをただ「ひとり」でやっている。

ひとりで考えたことじゃないと、誰かに話せない。ここにだって、書けない。誰かと話した内容を書くこともあるけれど、そっくりそのまま録音した会話を文字起こししているわけじゃないしね。内容を思い出し、考え、書く。その時間のぼくは「ひとり」だ。ひとりって、いいよなぁ。谷川俊太郎さんは「万有引力」のことを「引き合う孤独の力」と訳したんだっけ。


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