感情を思い出すために

*さいきん、手帳に書き残しておく出来事や考え、思いのようなものの取り扱い方が、自分の中ですこし変わってきた。いや、正式に言えば、変えた、んだけど。いや、もっと正式に言えば、書く言葉自体はそこまで変わっていないのかもしれない。ただ、それを書くときに、「見返したとき」の捉え方が変わったというかね。

きっかけは、ぼくが毎回聴いている、AV監督の二村ヒトシさんと、作家の燃え殻さんのラジオ「夜のまたたび」の最新回だった。二村さんの「燃え殻さんはさ、色んなフィクションを書くけれど、それは感情を思い出すために話をつくってるでしょ?」という燃え殻さんに向けた言葉に、なるほど!と感銘を受けたのだ。いや、そもそもは燃え殻さんがやっていることなんだけど「感情を思い出すために、話をつくる」こと。

ぼくたち人間は、感情をずっと抱えながら生きていくことはむづかしい。感情はナマモノだから、ずうっと心に同じ感情が居付くわけではない。よろこびも悔しさも悲しみも怒りも、忘れずに持ち続けることはほぼ不可能だ。それを持ち続けているように見える人は、きっと火が消えないように何度も何度も薪をくべているのだろうな。逆に言えば、薪をくべなければ、その火は消えてしまうということでもある。

それから、手帳に書くことを、「感情を思い出せる」ように意識して書くようになった。ただ、その感情をそのまま書いても意味がない。「悔しい」とだけ書いたって仕方がないもんね。だから、その文章をきちんと辿れば「悔しい」と思えるように、書こうとしてみる。感情や心の機微は、文字やデータには宿らない。だからこそ、その感情を鮮明に思い出せるように、足跡を残しておく。それが、ぼくにとっては「手書き」であるほうがいい。

忘れてしまう生き物だからこそ、思い出せるきっかけをたくさんつくっておくこと。いつだって前を向いている人もかっこいいけれど、ぼくは何度も何度も過去にあったことや感情を思い直す人も、たっぷりかっこいいと思うんだよなぁ。


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