かすれていく

*「かすれていく」。と、ひとことだけメモをしてあった。世の中のほとんどのものは、かすれていくんだと思って、たぶん書き留めたんだろう。たしか「たいせつなものは、みなかすれていく」と書こうとしたんだけど、べつにたいせつかどうかは、関係ないと思って前半部分を省いた(はず)。いろんなものは、時とともに、または時のおかげかせいか、かすれていくものだ。

記憶も、かすれていく。薄れていくというより、すこしずつ間が消えていく。かすれてかすれても、濃い部分はいまだに輪郭が残っていることもあるでしょう。雨風で岩や土や木といった自然も、かすれていく。若いうちは肌が違うというのも、年々時間の経過とともに僕たちの肌がかすれていっているからなのかもしれない。

ぼくたちの手で作ったものは、かすれやすい。機械でつくったものもかすれていくが、そのスピードは手作りとは段違いだろう。紙に印刷したことばは、なかなかかすれない。あの人からもらった手紙は、読み返すたびにどんどんかすれていく。そのかすれを埋めるように、あたらしく上から色を塗ったりすることもある。

記憶も、思い出も、自然も服も文字も、ほとんどのものはかすれていくのだ。あの日誓った決意も、いまはもうかすれていたりしないかい?こんな言い方をすればわるいことのように聞こえるかもしれないけれど、ふつうのことだ。常にまっさらな人なんて、いないのかもしれない。かすれてかすれて、上塗りしてはまたかすれて、そうした何重にも重ねられた層のようなもので、ぼくたちひとりひとりはできている。…なんて、ちょっとかっこつけた言い方をしちゃったかな。


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