せっかく生きてるんだから。

*おはようございます。
のんべんくらり365日、4年と少しほどたぶん欠かさず書いてきたこの文章も、「おはようございます」から始まるものは、きっと初めてだ。「おはようございます」から、今日は何となく始めたくなった。なにせ、新しい1年の始まり、お正月、ガンタンクじゃなかった、元旦なんだから。

お正月って、なんかものすごくヒマだよねえ。あっちへこっちへ挨拶回り、実家も誰かの実家もゆっくりできない人もいそうだし、もちろん今日はたらいている人もいるとは思うんだが(ほんとうに、おつかれさまです)、そういう人たちの休みの日も含んだ「お正月休み」ってのは、1年のどの休みの中でも特段ヒマで、ゆっくりしていそうだ。お店も開いてないし、旅行ぐらいしかすることがない。旅行先でもゆっくりだらりとするくらいだもんね。

さて、ちょっとだけ暗い話をします。ぼくも最近聞いたのだけれど「厭世主義」ってのが、近頃の若者のあいだでも流行っているらしい(どのくらいの若者かわからんが)。英語だと「ペシミズム」なんて言うそうだ。辞書で引いてみたところ、「現にある人生や世界に失望し、これをいやがる態度。」とある。ぼくが人伝いに聞いたのは、「生まれてこなければよかった」とか「人生を最悪とする考え方」のようなものらしい。不景気で先が見えづらい世の中で、そう考える人が少なくないのも、すこしは、分かる。

ぼくが恵まれている方だから、この考え方は性に合わないのかもしれない。友人にも、出会いにも、ビンボーにも恵まれている。ただぼくの根底、伏流には「せっかく生きてんだから」という、ある種の諦念をひっくり返したような考え方があるのも事実だ。生きづらい世の中だけれど、せっかく生きてんだから、楽しまなくっちゃ損だよな、といったもの。

たしかに世の中は暗いかもしれない。けれど、せっかく生まれたんだから、とりあえずでもいいから今の自分の望みに合わせて今日を生きる。むりに明るい生き方をしなくたっていいじゃない、せっかく生まれてきたんだから、悲観的であってもそれなりに過ごすことはできるんじゃないかなぁ。そんなことを言ったら、この考え方の人たちに怒られるんだろうか。

いろんな立場や状態の人がいて、不幸自慢をし合ったら、それこそマウントの取り合いみたいになる。ぼくはぼくでしかないので、他人のそういった状況を慮ることはできても、同情まではできない。せっかく新しい1年が始まったなら、生きたいように生きてみたっていいじゃないか、というのが、ぼくのおおよその考え方だ。けんかをしても、仲直りしても、はたらいてもダラダラしても、一日が終わって、また次の一日がやってくるんだから。せっかく明日も生きるなら、生きてるように、生きてみたい。

暗いトーンの絵でも、素敵な人の心を打つような絵は、たくさんあるんだよなー。

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