今回は、見て見ぬ振りがむづかしいです

*ぼくたちは、あらゆるものを見て見ぬ振りをして生きている。逆に言えば、この目で見るものを選んでいるということだし、できるだけ目に映らないようにしているものを選んでいるということだ。すべてを見渡せるほど視野が広くないとしても、なんでもかんでも視界に入れて、そのたびに思ったり考えたりしていちゃ、身体も心も持たない。見たいものだけを見て、見たくないものは見ないふりをして生きている。このことは悪でもなんでもなく、ふつうのことだ。ぼくだって、あなただって、あらゆるものを見て見ぬ振りをしているはずだ。そうしなきゃ生きていけないし、なんなら「興味がありません」とバッサリ切り捨てたっていい。

しかし、なんだか今回は見て見ぬ振りをすることもむづかしい。なんとも嫌な感じの空気感が世界を覆っている。テレビを点ければ、スマホを開けば、雑音を含んだあらゆる声がどんどん聞こえてくる。いつのまにか、けれど確かに、戦争が始まっている。戦争反対という声は、戦争が始まってからみんな思うことじゃないはずだ。戦争が始まるずっと前から、戦争反対である。そうした声があっても、現実に戦争は始まってしまうものなのか。そんな声を無視して、誰かの一声で始まってしまうものなのか。

ぼくはぼくのすきなものを、見たいものを、聞きたいものを、興味のあるものを、心惹かれるものを見てきたし、多少なりともつくってきた。そんなこんなをしているうちにやがて死んでいくのだろうなと思っていたのが、一気に土台からひっくり返されたような気持ちだ。「ちゃぶ台を返したら、勝ちも負けもなくなるぜ」みたいな、暴力を目の前にしている気持ちだ。

あまりにもおおきな、そして根本からひっくり返されるような出来事で、正直に書くと、かなしい。かなしい。いつものぼくなら、心が持つ限りは情報を自分なりに追っかけながらも見て見ぬ振りをきちんと貫き通すはずだけど、なかなかそれができそうにもない。まったく関係のない文章を書こうと思って書いたけど、それすらお門違いな空気すらある。今、ほんとうに思っていることを書き残しておこう、という理由もあるんだけど。

あの、すっごくむづかしいですけど、ご飯、食べましょうね。お風呂にたっぷり入りましょうね。ゆっくり寝ましょうね。できるだけ普段通りのよろこびやかなしみを享受しましょうね。そこから、考えたり悩んだり、見て見ぬ振りをしたりしましょう。息苦しくなったら、深呼吸をしましょうね。まずは、そこからだと思うんです。窒息しそうになりながら、かすれた声で叫ばなくたっていい。それから言いたいことを言うのだって、遅くはないはずです。


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