良いものは、良い集団からつくられる。

*甲子園が終わりました。仙台育英高校の皆さん、そして全国の高校球児の皆さん、それに関わる方々、ほんとうにお疲れ様でした。やっぱり、甲子園ってすごいなー。見ている側が神格化しすぎなところもあるかもしれないけれど、やっぱりひとりひとりにドラマがある。スポーツは、そんな当たり前のことを改めて教えてくれる気がする。

優勝高校の仙台育英の監督さんのインタビュー、よかったねー。優勝した直後に、あんなことを言えるなんて、常日頃からちゃんと思っていて、考えていないと出てこない。だからこそ、あの言葉にぼくたちは胸を打たれたんだろうし。監督も、マネージャーも、選手ひとりひとりも、応援団もブラスバンドもそれを支える家族や友人も、みんな含めて、意図せずつくられているものが、あの「甲子園」なんだろうな。

・良いものが、良いものとして受け継がれているのは、それに関わる集団がいいからだ。甲子園も、オーケストラも、伝統も文化も、家族も、映画やドラマも、音楽も一枚の絵画でさえも、良いものは良い集団からつくられる。ひとりでつくられているように見えるものでも、きっとそうじゃないよ。良い集団が、良いものをつくる。そして、受け継いでいく。「良い集団」というのも、ひとつの「良いもの」と言ってもいいだろう。

もちろん、「良い集団」が永遠に存在するか、「良いもの」がこれからも受け継がれていくか、と訊かれれば、ぼくにだって分からない。どこかで途絶えるかもしれないし、予期せぬ悪意に蝕まれるかもしれない。けれど、たとえその集団に悪意がまぎれようとも、善意がそれを覆い尽くすんだと思う。一筋縄じゃいかないかもしれないけれど、たぶんそうだ。良い集団なら、きっとそれができる。悪意には対抗せず、もとよりある善意で覆い尽くすことができる。

甲子園を観ながら、そんなことを思っていた。ぼくも、いい集団のひとりでありたいな。チームで、組織で、集団でつくっていくことの面白さが、甲子園にもあるような気がしたのでした。


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