その人の声と話し方で

*ぼかぁ、生粋のほぼ日ファンなので、もちろんのこと「ほぼ日の學校」にも登録しているのでありんす。ほぼ日の學校、ほんっとすごいよ。おもしろいのはもちろんだけど、やっぱり講師陣のバリエーションがすごい。こんなの、他にどこができるんだ!って思うくらいの人たちが、有名無名問わず、ずらりと並んでいる。しかもその授業がこれまた、ぜーんぶおもしろいんだ。おれもさっそく、授業をいくつも聴いている。

なかでも、穂村弘さんが出てきたときは驚いた。「あの穂村さんまで!」ってねー。著書でしか読んだことないけれど、こういう「教える」みたいな場は苦手そうなのに、穂村さんが出てきたと思ってもうすぐに授業を聞いちゃった。そこでおもしろかったのが、「穂村さんって、こんな声で、こんなふうな話し方なんだ」って思ったことなんですよ。

本でしか、活字でしか、その人に触れられなかった人の肉声が聞ける。声が、話し方が分かるっておもしろいんだよなぁ。その人の声でその人の話し方で、その人の話が聞けるって、なんて贅沢な学びなんだ。と思うと同時に、それは学びの形として、ある意味当たり前だ。その学びに触れれるって、とんでもなく有難いこった。

ぼくは谷川俊太郎さんの詩が大好きなんですけど、朗読会に行ったときもおんなじことを思ったなぁ。谷川俊太郎さんって、こんな声なんだ!こんな喋り方なんだ!って。お歳も召されてるから、ちょっと滑舌が悪かったりもしてさ。でもそれがたまらないぐらいよくって、肉声で詩を聞くことは贅沢でいてかつ、これが本来の形でもあるんだなと。

そういう意味でもさ、会ってさ、話すことだよね。肉声を聞くこと。声で体調が分かったりするように、声にはふしぎな力がある。いや、ぼくのこの文を、ぼくの声で読んでも、なーんにも起きませんけどねー。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?