文通がしたい。

*ことしは誰かと、「文通」なるものをしてみたい。割り切れない分数じゃないよ、割り切れない気持ちを書いたり受け取ったりする方の「文通」だよ、なんつって。

最後に手紙を書いたのはいつだろう。去年の夏頃だろうか。それまでは多い時にゃ一月に一度、少ないときでも三ヶ月に一度のペースで手紙を書いては出していた。しかし、そのどれもが「やりとり」ではない。久しぶりの友人にそれとなーく住所を聞き出して書いてみたり、今度会うともだちに手紙をしたためておいたりと、せいぜいお返しがきても1往復が限度だ。2往復目からの「文通」を大人になってしたことはほとんどない。

文通は、ロマンチックだぜ。なにせ顔も見えない、たとえ知っている相手だとしても、その人からのことばを顔も見えない自分だけの場所で聞くことができるのだから。その逆もそうだ。基本的には相手しか読まない前提で書くの。だからといって、自分勝手なポエムはよしておけ、同志よ。書く側の鉄則は、一日置いて読み返せ、だ。

「おしゃべり」では到達できない場所に行けるのも、文通の良さなんだよなぁ。おしゃべりみたいに「1を聞いて」「1が帰ってくる」といった短いジャブのヨーロッパ、応酬ではない。ひとつの流れをそのまま受け取り、その流れの続きを書いて、返す。点でキャッチボールしていくんじゃなく、まるでリレーしているような、タスキを繋いでいく連帯感がある。これはおしゃべりじゃ味わえない「文通」の良さだろうな。

それがゆえに、その人のことをより深く知ることができるんじゃないか、とも思うのです。単発のキャッチボールでは踏み込めなかったところに、手紙だとてが届く。流れの中で知り合えることがたくさんあったりする。なにより「書いて」「読む」というやりとりは、お互いにとても影響を与えますよ。ふたりの気が合えば合うほど、その影響の輪はおおきくなっていく。

ああ、文通したいなぁ。とりあえず3ヶ月間くらい、メールでも良い。でも誰でも良いってわけじゃないんだよなー。


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