偶然はいつもC地点で

*この土日は岡山の山奥でキャンプフェスに行っていたので、まだ楽しみ疲れが取れません。めいっぱい楽しんだあとって、どっと疲れたりするよねー。種類としては気持ちいい疲れ
に入るんだけど、年を重ねたせいか、次の日がすこししんどくなってきた。でも、楽しかったなー。フェスなので気持ちいい音楽にも触れたし、おいしいものも食べたし、山奥で自然にもたくさん触れた。朝早起きして見てきた雲海なんか、絶景だったもん。

ぼくは音楽が好きだし、フェスの醍醐味はやっぱり音楽も大きいんだけど、中でもいいフェスってのは知らないアーティストの音楽がこれまたいい。お目当てのアーティストはもちろんステージに足を運ぶんだけど、テントの設営中やゆっくりコーヒーを飲んでいるときにたまたま聞こえてくる音楽が心地よくって、ついついステージへ足を運んだり、その場で聞いている時間が気持ち良かったりする。こういう、偶然的な音楽との出会いが用意されているのも、フェスの醍醐味だ。

こうした偶然の出会いってさ、偶然だから運任せだと思われがちなんだけど、じつはそうじゃないんだよ。だって、部屋の中でただ過ごしていたら、ぼくは今日この音楽に出会うことはなかった。ネットサーフィンをしていなかったら、ぼくはこの商品に出会うことはなかった。つまり、じぶんが「ここではないどこか」に出向いた先に用意されているのが、偶然だったりするんだよね。

こうした偶然はいつも、C地点にて用意されている。ぼくが普段過ごしている「A」という場所ではなく(Aだったら、すでに出会っているはずなのだから)、相手がいる「B」という場所でもない(Bなら、それをお目当てに自分が向かっているのだから)。AでもBでもない、お互いがちょっとだけ歩み寄った「C」という場所に、いつだって偶然的な出会いはある。それはネットの中だったり、広告だったり、普段は通らない道だったり、部屋を一歩出た外だったりする。

たくさんの偶然と出会う人は、たくさん偶然に出会いに行っている人だ。様々な「C」地点に、じぶんを出向かせている。じぶんの中だけにいたってさ、なーんにも出会わないんだよ。出会いがすべていいことだとは限らないかもしれないが、出会ってはじまることは、たくさんあるもんだよね。


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