口がほぐれますよ。

*柳家喬太郎さんの落語を聴きながら電車に揺られていた。たぶん、古典落語じゃなくて、創作落語だったかな。話の途中で落ち着いた口調の人物が「いやねえ、賑やかなふたりを見ていると、私も口がほぐれますよ」と言っていた。この「口がほぐれますよ」という初めて聴く表現に、こころからいいなぁと思う。「口がほぐれる」って、いい表現だ。固まっていたり塞いでいた口が、ほぐれて柔らかくなっていくのがなんだか見ているように分かる。

この口がほぐれますよ、と言った男性の目の前で、酔っ払いと店主のママがぴーちくぱーちく話している。それを聞きながら、たまに質問を受けながら男は「口がほぐれますよ」とセリフをこぼすわけだけれど、ママと酔っ払いの会話がうるさかったりわずらわしかったりしたら、口はほぐれるどころか硬く結ばれる一方だ。質問ばかりされていても、そうだろう。ママと酔っ払いのふたりの会話が妙に心地よく、ばかなようだから男は「口がほぐれた」のだ。

「この人になら話してもいいかな」とか「この人とはなんだかしゃべってみたい」といったような思いを、喋る側に抱かせたのだ。しかもそれを、質問を繰り返したり、カウンセリングめいた受け身の取り方ではなく、会話をする中で、いわば発信する側で「口をほぐした」のだ。これは、なかなかできそうにない芸当だ。芸当といってももちろん、落語の中の話なんだけどさ。

こと会話において、この「口がほぐれる」ってのは最上級だよなぁ。自ら口を開くのではなく、閉ざした口をむりやり開かれるわけでなく、ついつい口がやわらかくほぐれて、ついには開いてしまう。とってもいい言葉だと思ったし、何より「口」ってのはほぼ「心」みたいなもんだねー。目は口ほどにものを言う、口は心の出入り口、あ、最後に口ついちゃった。



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