「ありがとう」について

*こころから「ありがとう」って言われるようなことは、むしろこっちが「ありがとう」って言いたいくらいのことなんだよなぁ、と最近つくづく思う。友人に、気持ちいいくらいの「ありがとう」をいう人がいてね。その友人からの「ありがとう」は、こっちが「ありがとう」って言いたくなるくらい、うれしいもんだ。

いい仕事ができたとき、その人のことを思って贈り物をしたとき、腕をふるって料理を振る舞ったとき、目の前を歩く人の落し物を拾ったとき。なんだっていい、気持ちのいい「ありがとう」には、なんだかむしろ、こちらがありがとうって返したくなるね。いい仕事をさせてくれて、ありがとう。きちんと受け取ってくれて、ありがとう。おいしく食べてくれて、ありがとう。ありがとうと伝えてくれて、ありがとう。綺麗事のように思えるかもしれないけれど、じっさい、そういう経験はあると思うんだよ。

「ありがとう」だけで済ませるのはいかがなものか、というのも、もちろんあるんだ。自分が受け手の側に立ったとき、そういう考えはちゃんとある。「ありがとう」を言葉以外の形にして、お返しをする、伝えるというのはもちろん大事だよ。なんでも「ありがとう」で済ませるようなことは、ぼくだってまちがっていると思う。お返しにできることをちゃんと探して、何かしらの形でお返しをするということも大事なんだけど、そのひとつの方法として、ほんっとうのこころから「ありがとう」ってのも、あるんだという話でね。

「あの人は、いつもいいものをくれる人。そして、いつもうれしそうになにかを受け取ってくれる人」。そういう人に、なりたいよなぁ。モノだけの話じゃないよ、サービスでも、接客でも、気持ちでも、なんでもいい。価値を交換し合うから、出会いってのはうれしいんだと思う。これはこの前書いた「約束」にも、通じることなんじゃないかなぁ。


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