楽器は人を選ばない

*ここ近年、街のどこかピアノがぽつんと置かれているのを見かけることがある。あるときは木造だったり、黒い大きなものだったり、機械的なやつだったり、場所によって置かれているピアノたちは違うけれど、なんだかんだ1カ月に1つくらいは発見しているので、よく置かれているのだろう。ぼくの家からすぐにあるスーパーにも、ピアノが置かれていた。

そんな街中に置かれているピアノを演奏している人の姿を見ると、なんだか涙がこぼれてしまう。音色がうつくしいとかそんなんじゃなくって、そのピアノを弾いている人は、きまって楽しそうで、夢中で、通り過ぎていくぼくたちのことなんて、気にも留めていない。ピアノとふたりで愛し合っているように見えるほどに街中にぽつんと置かれたその光景に、きまって涙がこぼれそうになる。

サラリーマンの人が夜中の会社帰りにひとりで、小さな子供がお母さんを連れて、おばあちゃんが懐かしそうに座って、おもむろに弾き始める。そのあいだ、周りのぼくたちは、たしかに存在しないのだ。ふたりの世界を、ただ横目で見守りながら通り過ぎていくだけである。

「ああ、この人はピアノと出会えてよかったんだろうな」と思う。心なしか、ピアノも恍惚の表情を浮かべながら、見事に音を奏でている気がする。ピアノも、あなたみたいな人に弾いてもらえて幸せだろうま。用意されていたピアノとの用意されていない出会いを目の当たりにしながら、ぼくは帰路についている。ピアノを置こうと考えた人の想像を超えるほど、すてきな物語が生まれていると思います。


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