新しいという価値。

*「新しい」という価値観は、なんとも面白いものだなぁと思う。新しい車、新しい家電、新しい情報、新しい機械、新しいあたし…きっとほとんどの人が「どうせ買うなら新しいものがいい」と思うでしょうね。もちろんぼくも、そりゃ新しいもののほうがいい。ただ、どうして「新しいのがいい」のか?をよくよく考えてみると、いろんなことが分かる。

どうして「新しい」がいいか。それは、「新しい」ことが、最新鋭で、今までになく、価値のあるものだと思っているからだ。だって、わざわざ今までの製品よりも劣っているものを出しても仕方ないでしょうしね。ただ、それはすべてに当てはまるわけではない。機械でもそうだし、最近だとパソコンのアップデートなんかがそうだけど、新しいものが「一番いい」わけではないことを、ぼくたちは知っている。

新しいからといって、それが常に一番なわけではない。それを知りながら、どうして新しいを求めてしまうのか。それは「新しいこと」が、機能以上の価値を持ってしまっているからではないか。新しく出たもの、そのものの価値と同じくらい、もしくは以上に「新しいこと」自体に価値があると思っているのだ。

思えば、「〇〇通」なんて呼ばれる人たちは、常に〇〇の新しいものを探し回っているようにも見える。常に新しいものを探し回り、古びたものを捨てていく。情報でもなんでもそうだ。しかし、「新しい」からといって、それが一番なわけではないんだとしたら、それはなんだかヘンテコなことをやっているようにも思う。

しかし、「新しい」が持つイメージの強さは、けっこうなものだ。「新発売!」って書くだけで、売れるんだから。でも、ほんとのところは、新しさや古さに関係なく「それ」が持つ機能や価値や、またはそれ以外のもののはずだ。

そしてこれは、「古い」ということにも言える気がする。古いから良い、ってわけでもないでしょう。古着や、古い車、古い骨董品、古いアルバム…「新しい」ことと同じくらい「古い」ということ自体にも価値がある。そういう競争から逃れて、いろんなものを見てみたいんだよなー。正直、ぼくだってむづかしいのだけれど。


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