情報、ひかり。めがね

*ここ2日間、なんだか頭の横のほうがぼーっとする。もちろん熱はないし、そういう症状もないので、いわゆる夏バテだったり疲れているのだろう。ぼーっとしては考え事が手につかなくなったり、やる気が起きなかったり、気付けば寝転んでしまいたくなって、ぼーっとしてしまう。普段のぼくも、ぼーっとするのは好きだけど、ここまで強制的にぼーっとさせられるのはちょっとなぁ…なんてのを、ぼーっとしながら書いている。

なぜここまでぼーっとするのか。夏バテというのもあるだろうけど、やっぱり「画面の見過ぎ」なのだ。ぼくはPC仕事だし、スマホでよく映像やらSNSをパトロールしたりするもんだから、人並み以上には画面を見ている。この画面の見過ぎが、ぼくの頭に負荷をかけているに違いないのだ。で、なんでもそんな画面を見るんだい?画面になにがあるのさ?と問うてみると、今の時代、スマホやPCの画面には「情報」があるんだよね。

情報って言っても、ぼくたちが見たり触れたり聞いたりする一次情報ではなく、それ以降の情報が「画面」には、画面の向こうには広がっている。お手持ちのスマホをひらいてごらん、時計が出てくるでしょう。それも、時間という情報を画面から受け取ったと言える。SNSもニュースも、相手からの連絡さえも画面越しに情報として受け取ることができる。で、画面ってのは「光」で構成されているわけでしょう。今の時代、あらゆる情報は「光」に乗って届くと言えそうだ。

自然ではない光を、目が浴びすぎているのだ。人間はなんでも見えるようにしたがるから画面から情報を摂取しようとするし、見えないことが不安だから「めがね」なんてものも作ったわけでしょう?なんでもかんでも見えるようになると、すべて良くなるってわけでもないもんなぁ。あれ、いったい何を書きたかったんだっけ。そうそう、光と情報ね。今日はもう、予定までメガネを外して過ごしてみようかなー。不便だろうけど、不自由ではないと思うよ。


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