完結されない命

*ぼくたちの生命は、いや、ぼくたち人間を含めた生命は、自分自身だけでは完結できないように設計されているらしい。そんなことばを、どこかで聞いたことを思い出した。友人の自然界に詳しいおじさんだっただろうか。

食物連鎖なんて、まさにそれをあらわしている。食べて食べられ、生態系のピラミッドができあがる。ピラミッドと表現するからカースト的な意味合いを連想してしまうけれど、たぶんほんとうの生態系は、緻密な歯車だ。ひとつ欠けたら周りは回らない。それぐらい綿密な精度と設計で出来ていると言ってもいい気がする。ま、こんなこと言うのはニンゲンくらいだろうけど。

植物だってさ、おしべとめしべがあって成り立っているように思えるけれど、そのおしべとめしべを行き来する虫たちがいないと成り立たないわけだね。種子を運んでくれる生き物や、掃除をしてくれる生き物、それぞれがいないと成り立たないようにできている。でもさ、そのことを、きっと植物も虫も知らないよ。自分たちが植物の種子を運んでるんだー!なんて思ってもいないだろうし、そんな関係性ですらないような気がするね。

自分たちだけでは生きられない、完結しないとことを、知りもしないし知らされもしていない。そのなかで、無関心に振る舞うこともできれば、仲良しだったりするかもしれない。うとましく思っている関係かもしれないし。そんなふうにいれるのが、なんだか素晴らしいなぁと思ってね。設計よりも、そんな間柄ってのがね。


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